三角食べ   2008.6.18

最近の子は主食が白いご飯の時、おかずだけを食べてご飯が残ってしまうことが多いようです。中日新聞によると、メーカー「味の素」が20-70代の124世帯の食事を調査したところ20-30代の作る米飯は丼ものが多かったとのこと。コメントに「40-50代のように限られた時間内に一汁三菜の和食を作る技術は身についておらず、一品で見栄えが良く満足感もある丼になびく」とありました。オーバー40の私としては一安心すると共に、40-50代のひとくくりに年齢を感じました。我が家も私や夫(オーバー40)はおかずとご飯とお汁のどれかが偏って最後に残ってしまうことはありません。それなのに子供たちは、コース料理みたいに順に出てくるわけでもないのに、気が付くと一品だけが残っていたりします。小学生の給食の時間、必ず三角食べを指導されたものでした。「三角食べをしなさい!」と言ったら「何、それ?」。三角食べとは、主食(パン、ご飯)→おかず→汁気(学校では牛乳)→主食→という様に順番に食べていくことで、好き嫌いもなくなり、バランスが取れ、きれいに料理もなくなるというものです。当時、肉が嫌いで小食だった私は、この三角食べのサイクルも最後はおかずの肉で止まりいつも残される羽目になりました。しかし、その後好き嫌いもなくなり、小さい頃に身についた三角食べの習慣により、今でも一つの料理だけを食べることはありません。家庭での多様なスタイル(私たち親世代もなかなか子供への躾が行き届いていません)と、食物アレルギーの有無や食の太さの違いなど個性が重視される時代になり、学校側も給食に対して強制はできなくなっているでしょう。けれど三角食べをすることや、最後まで食べないといけない決まり?があったために給食にまつわるノスタルジックな思い出に浸れるのはオーバー40(含むアラフォーaround 40)の特権だと思います。

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世界で一番好きなひとは?   2008.2.6

寝る前に、答えは決まりきっているのですが、「世界で一番好きなひとは?」と尋ねるのが習慣になっています。ベッドの中でこの答えを聞くと、まだまだいける!と思う私です。甘い言葉で「ママ!」と言ってもらうと、つくづく息子を産んでおいてよかったと思います。とはいうものの、まだ三人の息子が低学年だった頃までは、こんなにもてていいのかしら?と言うくらい激しく「ママ大好き♪」コールを三人から受けていたのですが、最近は期待に応えてくれるのは三年生の三男のみ。三男は末っ子で甘えん坊なので「ママ、いっしょに寝よー」。そこでいつものお決まりの問答が始まるわけです。少しは心優しい?次男は「世界で一番好きなひとは?」と聞くと「母さん!て言って欲しいんでしょー!?しょうがないなー。母さん!」。一方長男は「あほじゃない?何くだらんこといつも聞いとるの?」(しゅーんとしょげる私。)しかしそう言われつつも、一緒に寝たがる時もある(友達には内緒らしい)6年生なのでまだ母への愛?を受け止めてあげています。いよいよ思春期に入れば、もう甘いせりふも抱擁もなくなるでしょう。今までの息子たちとの甘美な思い出を大事に胸に秘め(今後いっしょにお風呂に入ったり寝たりしてくれる機会は私が老婆になってからくらいでしょうか?)、はたから見たら息子命!に思われないよう少しずつ子離れをしていかねばと思いつつも、もうしばらく「世界で一番好きなひとは?」を問う愚母な私です。

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ぞうきん   2008.1.22

入浴も終え、ほっとしていると三男が「明日学校に持っていく雑巾ちょうだい」。
「今、新しい雑巾ないよ。」
「今から100円ショップか薬局で買ってきてー。」
「だったら母さんが作ってあげるわ。」(今さら着替えてメイクして出かけたくない)。
「えっ!作れるのー!?(雑巾は既製品だと思ってたの!?)作ったのでもいいのかなー?(あたりまえでしょ)」。
早速タオル(新品が無く、数回使用した比較的新しいもの)を持ってきて手縫いを始めました。裁縫の出来ない三男にとっては器用に見える手つきで針を進めていく私の指先を見ながら、雑巾が出来ていく様子に感心しつつも、
「みんなのと違うけどいいかなー(タオル四つ折で作る雑巾は100円ショップよりやや大きめで厚いから)。先生に新しい雑巾と言われたけど大丈夫かなー。」
と心配していました。
「厚みがあった方が使いやすいよ。雑巾としては新品(材料のタオルは中古品でも)だし。それに世界で一つしかないからかなり高級(こじつけ)だよ。」
と、不完全な直線の運針跡(人に見られたら私の裁縫の程度がわかるというものですが)のある雑巾を渡しました。私たちが子供の頃は雑巾というと家にある使い古したタオルで作って持っていったものです。子供の保育園時代、雑巾や足拭きを持っていくのに新品のタオルやバスタオルで作るようにいわれ、何故?と思いつつ(今でも??です)雑巾を作るのにわざわざ新品のタオルを調達したものでした。そのうち100円ショップで雑巾が売り出され、材料と手間を考えると提出用はぺらぺらの雑巾一辺倒になっていました。そんなことで子供たちも雑巾は古いタオルの再利用ということを知らなくなっていたようです。私は裁縫は得意ではありませんが手縫い(ミシンは我が家にはありません)の雑巾作りは嫌いではありません。雑巾は運針がどのようであろうと四辺と対角線を縫えばそれなりに使えるようになるからです。翌日帰宅した三男は
「先生に ’母さんの作った雑巾のほうがいいんだよ’ って言われた。」
と報告してくれました。良い結果となりました。担任の先生のご指導に感謝です。

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ペンフレンド   2007.12.22

携帯やPCのメール普及により、文通という単語も死語になりつつあるのでは?と思いますが、その文通を20年以上続けています。当時受験生の私の勉強の教材は、朝ラジオから流れる(岐阜では朝5時からの放送でした。予約録音機能などない時代なので、その時間に聞かないと2度と聞けませんでした。)’大学受験ラジオ講座’でした。♪タラタタタター♪♪タラタタタター♪のメロディーは聴いたことがある人しかわからないですが、このメロディーは今も口ずさんでしまう懐かしさです。さて、その昔、漫画雑誌、学習雑誌には文通コーナーがあって、今の個人情報保護法下では信じられないのですが、個人の住所や年齢など開示されていました。ラジオ講座の雑誌にも読者のコーナーがあって、そこで文通相手を求めていたのが、R子ちゃんです。お互い理系、福島と岐阜と離れていても苦しいのは同じと、勉強のこと、その他たわいもないことを書いては送り書いては送り、大学に入学した後も、そして、就職、結婚、出産を経た現在もその交流は続いています。今回は6年ぶり、当院の開院10周年を記念しての再会です。R子ちゃんの一人息子Y君とも初対面でした(6年前はいなかったから)。返事もメールならあっという間ですが、時代に逆らい手書きの手紙で互いの近況をやりとりする私たち。乱筆乱文で書きっ放しも長い付き合いなので無礼講で続いているのかもしれません(今はほとんど文書はPCで打つので乱筆は無いし、乱文の校正も削除や挿入で楽になったので)。大事なペンフレンドのR子ちゃん、これからもヨロシクネ。。

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中津川カレー   2007.11.9

中津川野外学習から帰ってきた次男は、自分たちで作ったカレーがとても美味しかったからと再現することに。材料をそろえたところ(しかし、グリーンピースがない!と大騒ぎ。なくても影響なしと却下)までは良かったのですが、ジャガイモの皮を剥く段になって皮むき器でジャガイモの皮なら指の皮を切り出血、あえなくフェードアウト。「あとは母さん作って」とレシピを渡されました。小学生の初歩向きだけあって、切り方はいちょう切りで、肉も含め材料すべてをコンソメで煮込み、にんじんが柔らかくなったらカレー粉を投入(中津川レシピにはカレー粉を入れたら、かきまわし棒(菜箸のこと?)で絶えずかきまわし、焦げ付かないようにすると注釈) というシンプルな作り方です。いつものカレーに比べたら、肉も少なく、材料も小さく刻むのであっという間に完成。こんな簡単でいいの? しかし味はあなどれず。奥のある味ではないのですが、しみじみ美味しいー(ふーっ)。最近食べたことのない新鮮でしかし懐かしい味です。夫も同様のコメント。はて、以前に食べた? 夫曰く 「子供の頃はこんなカレーだったよねー。もっと黄色だったけど。」 そういえば最近食べていませんが、実家の母のカレーもこのような味だったような。いつからでしょう。具が大きいほうがいい(その分煮込まないといけません)とか、香辛料、ルーや材料に凝ることがカレー作りにとっていいことだ!と刷り込まれてしまったのは。今回の体験は、ジャガイモ、にんじん、玉ねぎと肉少々(中津川分量だと一人30グラム)あればさっと作れる、しかも大きく味のブレもなく出来るのがカレーだという基本に気づかせてくれました。子供たちは「中津川で作ったものより美味しい!」(母の愛情と料理の年季がプラスされている分当たり前です‥)「今度からいつもこのカレーがいい!」 凝っていろいろ試す私のカレー(毎回違う)は当分お休み。中津川カレー(と命名)は我が家の定番の味になりそうです。もっとも、こんなに簡単なら息子たちにも一人で作れるようになってもらいましょう。

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外食だけど…忙しい   2007.10

お好み焼きを食べに行きました。我が家の近くには3件お好み焼きやさんがあるのですが、今回は、初めてのお店へ行くことに。このお店は自分で焼いて作るのが売りのようで、メニューに焼き方も記されていました。私はお好み焼き、夫と三男は焼きそば、次男は考えた末、広島焼きに決定し注文。しばらくすると材料一式が運ばれてきたので、各々早速焼きに取り掛かりました。お好み焼きの私は器に入っている材料を良く混ぜて流すだけなので簡単、焼きそば組もキャベツ、麺、肉やイカをどんどん炒めればいいので無難、問題は広島焼きでした。以前広島に旅行したとき、出来上がりまで見入ってしまうほど見事な手さばきとその味(なんと広島では焼きそばの変わりにうどんを入れる人も!)に感激し、すっかり広島焼きに魅せられた私たち。次男はそれを求めていたのですが…広島焼きと言うのはクレープみたいな生地に焼きそばの炒めたのやキャベツを載せさらに目玉焼き(の崩したもの)が段々になって(混ざらず段々にがポイント)いるもの。材料をあちこちで炒め汗を流しながら大忙しの次男、見かねて店員さんに焼いてもらおうとしたら、厨房には鉄板はなく焼くのは不可とのつれない返事(ヘルプを求めるのはうちだけ?要はお腹に入ってしまえば同じだから注文した人の自己責任ということ?)。仕方なく手伝う私は鉄板の隅を触り’あっつーい!’。自分のお好み焼きもまだぐちゃぐちゃだと思っていたら焦げ始め、ひっくり返そうとてこを握ったらまたまた鉄板の上においたままで’あっつーい!’次男はまずクレープ生地をうまくひっくり返せず、さらにキャベツと焼きそばが塔のように高くなり崩壊、目玉焼きは広がらず、とうとう全部混ぜていためるしか方法がなくなってしまいました。焼けたものを焦げる前に大急ぎで食べ、鉄板の上にも気を配り、汗をかきかき大忙しのランチでした。伝票を挟むプラスチックの板さえ熱で変形しているものをそのまま使用しているところをみると、鉄板の周りで熱くなり’あっつーい!’を連発、大忙しだったのは私たちだけではなかったようです。お好み焼き、焼くなら我が家に限る(ホットプレートの前ではさすがに汗だくになって’あっつーい!’の連発はないし慌てることもない)、外食なら作ってもらったのを食べるのが一番というのが私と次男の結論となりました。

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子供の誕生日は出産回想記 その3   2007.8.26

朝晩は秋の気配を感じるようになり、あんなに暑かった夏も、もう過去のものになりつつあります。長男出産後病院の玄関を出た日、わずか数日の間におきた自分の体の変化と季節の変化の両方をしみじみ感じたものでした。長男は夏の終わりに生まれました。

産休と同時に夫と同居生活を始めたることができました。当時私は郡上八幡の病院に勤めており、夫は名古屋と、新婚早々別居生活でした(当時の医局人事は個人の生活はあまり重要視されていませんでした)。つわりの時期も一人で耐え抜き、安定期に入ると’タオルで作るベビー服’などというものをちまちまと作っていた毎日でした(新品のタオルを買ってかなりいろいろなものを作りました。その頃は手作りこそ母の愛情の証と信じて疑わず、裁縫苦手の私でもその気にさせられたのでした。)そして待ちに待った産休。もちろん仕事も病院も患者さんも大好きではありましたが、研修医以来初めてお役目御免(産休後も別居を打診されたのですが、ここだけは同居の意向を貫き、岐阜に戻してもらうようお願いしました。だから抱えていた患者さんは次の担当の先生に引き継がれるのです)の開放感あふれる休暇でした。しかし、その長期休暇も一週間もすれば行動に制限があるため(妊婦なので旅行とかは無理ですね)暇を持て余してしまった私。といって、身体をいたわる(ごろごろしていればよかったのかも?)なんてことは医者には縁ががないので慣れていません。そして、ある日代診を頼まれ、名古屋まで出かけました。久しぶりの街。仕事。駅の階段を上り下りし、電車で乗り合わせたおばあさんに臨月にしては小さいお腹で(臨月で3.5㎏増)びっくりされた翌日。朝風船が破れたような感じでパシャッとお尻が濡れてしまいました。破水でした。やはり前日張り切りすぎてしまったのでしょうか。病院にて陣痛促進剤を打ってもらい、この腰痛が何時になったら治まるのかとうなっていた1日でした。しかし初産婦にしては早くその夜長男が誕生しました。予定日より一週間早い誕生でした。夫は出産には間に合わなかったものの我が子に対面し、感激。
入院中、看護学生が長男の大事なへその緒(今、へその緒が大事かと聞かれたら??ですが、当時は号泣でした)を沐浴時、排水溝に流してしまうびっくりするような事件もありました。3時間おきの授乳に自信がなく目覚ましをかけたりもしました(そんなことは体が赤ん坊に反応するので全くの杞憂でしたが)。身一つから身二つへ、守らねばならない小さな新しい命を抱いて、新米ママは激動の30代(一応この時はまだ20台)を迎えたのでした。

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同窓会   2007.6.22

20余年ぶりに高校の同窓会に出席しました。全体の同窓会は毎年開催されるのですが、今年は幹事学年ということで同期会が特別企画されたのです。地元に残っている人たちの尽力によりかなりの出席になりました。私も寄稿文を書くことで少しお手伝い。高校時代羽目をはずすこともなく、目立たず平凡だった私でも一応気合?を入れて出かけました。最初は??の顔も名札を見たり名前を言い合ったりして’えー○○?久しぶり!’みんな面影は残っているので高校の頃にすぐにトリップしてしまいました(その時代のみが共有した時間なので)。当時のアルバムからは想像できないほど(男子談)みんな女子はきれいになっているそうで、その中に自分も入っていると(勝手に)思うとまんざらではありませんでした。とはいってもみんな中年同士、お世辞も思いやりもありでしょうが。担任の先生は当時私たちと同い年だったと知りびっくり(少しも老いを感じられなかったので)。今、高校3年生を相手に指導する自信など全くない私は当時のご苦労を今になって感じたのでした。
盛況の中、最後は当時強面の応援団(今は気のいいおじさん達)指揮の校歌斉唱。口ずさめば20余年ぶりでも歌詞が出てくるものです。10年後の再会を約束してまた現在の生活に戻っていった元岐阜高校生たちでした。

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ザリガニ釣り   2007.6.10

この時期’ザリガニ釣りに行こうよ’誰かが言い出します。行き先は名東スポーツセンターの池。数年前に見つけてから毎年ここでザリガニ釣りをするのが恒例になっています。保育園に行くと誰もがザリガニに夢中になり、自分で獲ってみたいと思うようです。我が家は長男が生き物好きだったのもあり、当時はまだ柵のない扇川(今は柵があり原則禁止です)に繰り出したものでした。棒にタコ糸を付けその先にするめをしっかり縛るだけで準備完了。さらにたもを持っていくと少し吊り上げたところですくう事が出来るので重宝します。えさはするめでなくてもサラミとか蒲鉾とか何でも動物性のものならいいのですが、もったいなくても少し大きめにつけることです(ザリガニがしっかり食いつくように)。しばらくじっと待っていなければなりませんが、魚釣りと違ってまず間違いなくかかってくるので小さな子供たちにとってはうれしくてたまりません。子供たちが保育園時代はとにかくたくさん釣れるのが楽しくて何十匹と捕まえ、家で飼ったり、保育園に持っていったりしたものです。しかし、狭い水槽では息苦しく、縄張り争いもあり大抵は数日すると死んでしまいました。そんなことを繰り返し、獲りすぎてもいけないことも学んだようです。今回もたくさん釣れましたが、雄雌一匹ずつのみ持って帰ることにし、残りは小さな子にあげることにしました。早速バケツにあけて、そこでザリガニ釣りをしている子を見ていたらほほえましくなりました(そう思える年代になりました)。我が家のザリガニ釣りはそろそろ卒業かなと思っていたら三男が脱皮した殻をくれ、’これ、もっとりゃー。” “何かいいことあるの?’” “いいことないけど、記念になるに。” 記念と言われてもね。

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子供の病気 三男インフルエンザに   2007.4.15

小学校に入ってからは小児科のお世話になることがなかった子供たちです。(小学生になると病気しなくなる。また、夫婦そろって医師だと、よほどでない限り自分の専門分野に関しての病気だと動揺しないので、休養と経過観察のみで治癒にいたらせることが多い。そうでない場合も薬を処方して治ること多々ありなので)たまに風邪を引いて休むときは自宅で寝ていました。ただし、昼食は私と二人で(他の兄弟はなし)食べに行きコンビニで特別におやつを買ってもらうお楽しみがあるのです。しかし、診療が長引いたり、往診だったりすると子供たちのもくろみはハズれ、お昼も一人冷凍食品をチンするか私が帰るまで我慢して待ってることにも。(子供の欠席に合わせてこちらの診療は変えられないので)。だから、子供たちにとって休診日の木曜日に休むことになるのが一番ラッキーなのですが、そんなにうまく病気になるはずもなく・・・
そして今回三男は火曜日の夜中から高熱が出てしまいました。体温を測ってみると39度!抗生剤を飲ませるも熱はぐんぐん上がり39.6度に。たまたま夫(内科医)は所用で前日から留守。ぐったりした様子に眼科医の私ではさすがに手に追えず、小児科受診しました。’何小?何組?んー、今インフルエンザ流行っているんですよ、検査しましょう’ 結果は陽性。インフルエンザの可能性はこの時期はずれに全く予想もしていなかった私です。予防接種の効果もさすがにこの時期ではね・・’リレンザ(吸入薬)は手に入らないんです。タミフル使いましょうか。”お願いします(専門医にお任せします)’と言ったものの、自宅で一人で寝せておくのはさすがに異常行動がないか監視できず心配。かといってクリニックの処置ベッドに寝させるわけにもいかず.’病児保育お願いします!’おかげで午前の診療に従事でき、お昼休みに見に行ったときには相変わらずぐったりしていたものの、後ろ髪惹かれることなく午後の診療に戻ることが出来ました。病児保育は前から知っていましたが、利用は今回が初めてとなりました。病気のときは母親が付いていてやるのが一番ではありますが、子供は誰かいてくれれば結構安心する(特に我が家のように生後すぐ保育園育ちの場合)もの。実際三男は’今度からインフルエンザになったら(そんなに毎年罹ったら困る!)病児保育行くからね!”よほど優しく保育士さんたちに面倒みてもらえたようですね。働く女性にとって子供の病気は仕事との板挟みになりつらいもの、このような体制がどこにでもあるようになるといいですね。これからの女性は、仕事も子育てもあきらめない!がんばりましょう!

 

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