外食だけど…忙しい   2007.10

お好み焼きを食べに行きました。我が家の近くには3件お好み焼きやさんがあるのですが、今回は、初めてのお店へ行くことに。このお店は自分で焼いて作るのが売りのようで、メニューに焼き方も記されていました。私はお好み焼き、夫と三男は焼きそば、次男は考えた末、広島焼きに決定し注文。しばらくすると材料一式が運ばれてきたので、各々早速焼きに取り掛かりました。お好み焼きの私は器に入っている材料を良く混ぜて流すだけなので簡単、焼きそば組もキャベツ、麺、肉やイカをどんどん炒めればいいので無難、問題は広島焼きでした。以前広島に旅行したとき、出来上がりまで見入ってしまうほど見事な手さばきとその味(なんと広島では焼きそばの変わりにうどんを入れる人も!)に感激し、すっかり広島焼きに魅せられた私たち。次男はそれを求めていたのですが…広島焼きと言うのはクレープみたいな生地に焼きそばの炒めたのやキャベツを載せさらに目玉焼き(の崩したもの)が段々になって(混ざらず段々にがポイント)いるもの。材料をあちこちで炒め汗を流しながら大忙しの次男、見かねて店員さんに焼いてもらおうとしたら、厨房には鉄板はなく焼くのは不可とのつれない返事(ヘルプを求めるのはうちだけ?要はお腹に入ってしまえば同じだから注文した人の自己責任ということ?)。仕方なく手伝う私は鉄板の隅を触り’あっつーい!’。自分のお好み焼きもまだぐちゃぐちゃだと思っていたら焦げ始め、ひっくり返そうとてこを握ったらまたまた鉄板の上においたままで’あっつーい!’次男はまずクレープ生地をうまくひっくり返せず、さらにキャベツと焼きそばが塔のように高くなり崩壊、目玉焼きは広がらず、とうとう全部混ぜていためるしか方法がなくなってしまいました。焼けたものを焦げる前に大急ぎで食べ、鉄板の上にも気を配り、汗をかきかき大忙しのランチでした。伝票を挟むプラスチックの板さえ熱で変形しているものをそのまま使用しているところをみると、鉄板の周りで熱くなり’あっつーい!’を連発、大忙しだったのは私たちだけではなかったようです。お好み焼き、焼くなら我が家に限る(ホットプレートの前ではさすがに汗だくになって’あっつーい!’の連発はないし慌てることもない)、外食なら作ってもらったのを食べるのが一番というのが私と次男の結論となりました。

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など 公センセの日常の出来事

証明写真   2007.9.12

自動車免許証の更新通知が来ました。私はゴールドカードなので5年ぶりということになります。いつもは通知が届き次第更新に出かけるのですが、今回は先延ばしにしていました。証明写真のことを思うと憂鬱だったのです。というのは・・・通知が来たとき、髪を切ったばかりだったからです。今回カット、ブロー後はまずまず良かったのですが、翌日しっかりオン・ザ・眉毛!ちょっと前髪を気前よく切りすぎ!ご愛嬌といえなくもないが、今後5年使用の証明写真にするにはちょっと・・。というわけで、前髪が少し伸びるまで(といっても2週間ほど)待ちました。これならまずまず。お化粧もOK!洋服もOK!私なりに万全の体制で更新に行ったのですが、証明写真係のなんとも事務的で単調なこと!髪を整える間もなく、表情を考える暇もなく、1枚限りパシャ! ’はい、いいですよ’ 本人確認のための写真ではありますが、この写真採用可否の本人への確認はなし(1日何百人の人を相手にそんなことをやってられないでしょうが)。そして・・・出来立てほやほやの免許証には、やや眼を吊り上げ気味の中年女性(私)が写っていました。懲りずに子供に見せた私。長男 ’母さん、なに怒ってたの?’ 私 ’撮りかたが下手なの。いつもの母さんと違うでしょ?’ 次男 ’でも、母さんてわかるよ’ その通りですが・・・。 お気に入りの証明写真(パスポート用)が使えず、一発勝負の運転免許証の写真。5年後には満足のいくナイスショットで見せたくなるような(誰に?)自己満足度の高い新免許証にしたいものです。

カテゴリー:公センセの日常の出来事

子供の誕生日は出産回想記 その3   2007.8.26

朝晩は秋の気配を感じるようになり、あんなに暑かった夏も、もう過去のものになりつつあります。長男出産後病院の玄関を出た日、わずか数日の間におきた自分の体の変化と季節の変化の両方をしみじみ感じたものでした。長男は夏の終わりに生まれました。

産休と同時に夫と同居生活を始めたることができました。当時私は郡上八幡の病院に勤めており、夫は名古屋と、新婚早々別居生活でした(当時の医局人事は個人の生活はあまり重要視されていませんでした)。つわりの時期も一人で耐え抜き、安定期に入ると’タオルで作るベビー服’などというものをちまちまと作っていた毎日でした(新品のタオルを買ってかなりいろいろなものを作りました。その頃は手作りこそ母の愛情の証と信じて疑わず、裁縫苦手の私でもその気にさせられたのでした。)そして待ちに待った産休。もちろん仕事も病院も患者さんも大好きではありましたが、研修医以来初めてお役目御免(産休後も別居を打診されたのですが、ここだけは同居の意向を貫き、岐阜に戻してもらうようお願いしました。だから抱えていた患者さんは次の担当の先生に引き継がれるのです)の開放感あふれる休暇でした。しかし、その長期休暇も一週間もすれば行動に制限があるため(妊婦なので旅行とかは無理ですね)暇を持て余してしまった私。といって、身体をいたわる(ごろごろしていればよかったのかも?)なんてことは医者には縁ががないので慣れていません。そして、ある日代診を頼まれ、名古屋まで出かけました。久しぶりの街。仕事。駅の階段を上り下りし、電車で乗り合わせたおばあさんに臨月にしては小さいお腹で(臨月で3.5㎏増)びっくりされた翌日。朝風船が破れたような感じでパシャッとお尻が濡れてしまいました。破水でした。やはり前日張り切りすぎてしまったのでしょうか。病院にて陣痛促進剤を打ってもらい、この腰痛が何時になったら治まるのかとうなっていた1日でした。しかし初産婦にしては早くその夜長男が誕生しました。予定日より一週間早い誕生でした。夫は出産には間に合わなかったものの我が子に対面し、感激。
入院中、看護学生が長男の大事なへその緒(今、へその緒が大事かと聞かれたら??ですが、当時は号泣でした)を沐浴時、排水溝に流してしまうびっくりするような事件もありました。3時間おきの授乳に自信がなく目覚ましをかけたりもしました(そんなことは体が赤ん坊に反応するので全くの杞憂でしたが)。身一つから身二つへ、守らねばならない小さな新しい命を抱いて、新米ママは激動の30代(一応この時はまだ20台)を迎えたのでした。

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など

開業月   2007.8.1

8月は我がクリニックにとっては特別の月です。というのは開院の月だから。この時期になると開院顛末記といってもいい位いろいろあった当時のことを思い出します。今でこそそれほど珍しくありませんが、当時大学とも関連病院とも縁もゆかりもない土地での開業はめったになく、また不利(その地では無名で実績なども不明ですから)でもありました。しかも乳児、幼児を抱えてまだまだ医師としても若輩の私は、若さゆえ清水の舞台から飛び降りたのでした。まずは、1年。石の上にも3年(その間に無謀ながら三男出産)。5年目にしてまたまた無謀ながら大学院入学。そんなこんなでも、今年で10年を迎えることが出来ました。今までのカルテ分の患者さんがうちの宝です。患者さんによって現在の自分の力をつけてもらえたと思っています。毎日こつこつ漢字ドリルをやってきて、たまには書き順を間違えたりしつつも(漢字としては合っていても)、繰り返しと復習で、漢字ドリルを始めたときよりはずっとたくさんの漢字を書き順も間違えずにすらすらきれいに書けるようになった、そんな感じです。時々のごほうびは、患者さんからの’ありがとう’とか、’先生に診てもらってよかった’の言葉。うちを選んで来院された患者さんとのご縁を大切に、そしてたくさんのうれしい言葉を診療の糧に、これからも地域の眼科医として歩んで生きたいと思います。よろしくお願いします。

カテゴリー:クリニックに関すること 公センセの想い

突然食べたくなるもの   2007.7.8

思い浮かんだら食べたくてたまらなくなるものがあります。2週間前に大学へ所用で行った日に突如浮かんだのがサンドイッチ!私の好むのは薄いスライス食パンにゆで卵のマヨネーズあえ(ゆで卵であって、しかもみじん切り)、ハム、きゅうりかレタスが挟んである非常にオーソドックスなものです。この非常にオーソドックスなタイプがなぜか最近本当に少なくなりました。アメリカンタイプの厚いパンだったり、パニーニだったり、オムレツだったり、チキンだったりとカフェ風のものが主流なのです。その日私は大学病院の喫茶店でミックスサンドを食べる予定でした。ここの喫茶店は一人で過ごすにはかなりお勧めのお店で(と言っても用がなければわざわざ大学病院まで行きませんが、以前の職場だった私としては一人ほっとする隠れスペースでもありました)、私の一押しメニューはミックスサンドイッチなのです。が、なぜか所用が長引いてしまったその日、’それ以上のサンドイッチを食べなくては!’と意気込んでしまった私は、帰途初体験ながら高層階(51階)から景色を楽しみながらお茶の飲めるJR高島屋のパノラマサロンに行ってみることに。丁度木曜の午後だったこともあり、すぐに席に案内されメニュー表を差し出されます。サンドイッチと意気込んでいた私は即決のはずでしたが、メニューの’焼きたてワッフル’に眼が行き、ついワッフルセットを注文してしまったのでした(なんと優柔不断な)。もちろんワッフルは美味しかったのですが、甘いクリーム付きワッフルを頬張りながら本当は塩味系(サンドイッチ)が食べたかったのよねーと自分の欲望を再確認し後悔したのでした。さて、その日から、「サンドイッチ」という単語がちらつき毎日が過ぎておりました。今度こそ妥協しないで食べる!と決めていた私。やっと、一人ご飯を外でする余裕(休み時間の確保)が出来、近いようでなかなか行かない植田のEに出かけました。念願のミックスサンドイッチはまさしく私の期待通りのもの。憑き物が落ちたように、サンドイッチの呪縛から離れることが出来た私です。次はいつ何をどうしようもなく食べたくなるのかしら?

カテゴリー:公センセの日常の出来事

同窓会   2007.6.22

20余年ぶりに高校の同窓会に出席しました。全体の同窓会は毎年開催されるのですが、今年は幹事学年ということで同期会が特別企画されたのです。地元に残っている人たちの尽力によりかなりの出席になりました。私も寄稿文を書くことで少しお手伝い。高校時代羽目をはずすこともなく、目立たず平凡だった私でも一応気合?を入れて出かけました。最初は??の顔も名札を見たり名前を言い合ったりして’えー○○?久しぶり!’みんな面影は残っているので高校の頃にすぐにトリップしてしまいました(その時代のみが共有した時間なので)。当時のアルバムからは想像できないほど(男子談)みんな女子はきれいになっているそうで、その中に自分も入っていると(勝手に)思うとまんざらではありませんでした。とはいってもみんな中年同士、お世辞も思いやりもありでしょうが。担任の先生は当時私たちと同い年だったと知りびっくり(少しも老いを感じられなかったので)。今、高校3年生を相手に指導する自信など全くない私は当時のご苦労を今になって感じたのでした。
盛況の中、最後は当時強面の応援団(今は気のいいおじさん達)指揮の校歌斉唱。口ずさめば20余年ぶりでも歌詞が出てくるものです。10年後の再会を約束してまた現在の生活に戻っていった元岐阜高校生たちでした。

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など 公センセの日常の出来事

ザリガニ釣り   2007.6.10

この時期’ザリガニ釣りに行こうよ’誰かが言い出します。行き先は名東スポーツセンターの池。数年前に見つけてから毎年ここでザリガニ釣りをするのが恒例になっています。保育園に行くと誰もがザリガニに夢中になり、自分で獲ってみたいと思うようです。我が家は長男が生き物好きだったのもあり、当時はまだ柵のない扇川(今は柵があり原則禁止です)に繰り出したものでした。棒にタコ糸を付けその先にするめをしっかり縛るだけで準備完了。さらにたもを持っていくと少し吊り上げたところですくう事が出来るので重宝します。えさはするめでなくてもサラミとか蒲鉾とか何でも動物性のものならいいのですが、もったいなくても少し大きめにつけることです(ザリガニがしっかり食いつくように)。しばらくじっと待っていなければなりませんが、魚釣りと違ってまず間違いなくかかってくるので小さな子供たちにとってはうれしくてたまりません。子供たちが保育園時代はとにかくたくさん釣れるのが楽しくて何十匹と捕まえ、家で飼ったり、保育園に持っていったりしたものです。しかし、狭い水槽では息苦しく、縄張り争いもあり大抵は数日すると死んでしまいました。そんなことを繰り返し、獲りすぎてもいけないことも学んだようです。今回もたくさん釣れましたが、雄雌一匹ずつのみ持って帰ることにし、残りは小さな子にあげることにしました。早速バケツにあけて、そこでザリガニ釣りをしている子を見ていたらほほえましくなりました(そう思える年代になりました)。我が家のザリガニ釣りはそろそろ卒業かなと思っていたら三男が脱皮した殻をくれ、’これ、もっとりゃー。” “何かいいことあるの?’” “いいことないけど、記念になるに。” 記念と言われてもね。

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など

ツバメ逆境にめげず   2007.5.22

玄関先の壁のツバメの巣で親鳥が連日卵を温めています(卵を見てはいませんがじっとしているのでおそらくそうだと思います)。実は卵を温めているのは今期2回目なのです。昨年我が家に初めてツバメが巣を完成させ(今までも巣を作る気配を見せても完成に至らず)、5羽の雛が無事誕生し飛び立っていきました。おそらくそのうちの1羽が相棒と共に昨年の巣に帰ってきたのが4月初旬でした。’よく帰ってきたねー’ツバメがやってきた朝、妙にうきうきしてしまった我が家でした。巣の修繕が済み(その間巣の下はツバメの糞とわらや草、土で散らかり放題でした。今も我が家の玄関の階段の半分は新聞紙が敷き詰められている状態で知らない人はぎょっとします)、3週間ほどするとメス鳥が巣から離れなくなり卵を温め始めました。’今年は卵何個産んだのかなー’と誕生を待ちわびていたGW始まりのある日、外出から帰って来ると、巣のような塊が新聞紙に落ちていました。’えっ???’と思い壁を見上げると朝まであった巣はほとんど土台(全体の5分の1)の痕跡があるのみ。わらと草と土で丹精込めて作られた巣を持ち上げると3個分の卵の殻も出てきました。割れたにしても中身がない!何が起こったの???犯人探しが始まりました。ここ最近我が家のごみをあさっていた大きいカラスでした。きっと体当たりをして巣を壊し卵の中身を食べてしまったのでしょう。その日以来3日ほどツバメの夫婦は巣の周辺に呆然と止まっていました。’これで我が家にはツバメはもう来ない’と落ち込む私と子供たち。しかし、それからです。びっくりするような立ち直りで、わずか1週間でもっと立派な巣を完成させてしまったのです!新しい巣は昨年の黄土色の土台の上にこげ茶で築かれ改築の跡が明瞭です。3倍の仕事をこなし無事に卵を産み、今温めに入っています。外敵等の逆境にも負けず、さらに産む。それが種の保存のための本能だとツバメに教えられました。

カテゴリー:公センセの日常の出来事

My鉛筆   2007.5.5

先日子供たちの鉛筆を買いに行くと、1ダースお買い上げごとに無料名入れの新学期セールをやっていました。ふだん鉛筆を使う機会がほとんどない(カルテ、メモ、手紙みんなボールペンです)にもかかわらず、ついつい自分の分まで頼んでしまいました。1ダース買うつもりが、無料名入れにつられて子供3人と私の分計4ダース買ったことになります(お店のもくろみに見事はまった私)。名前入りなんて何十年ぶり?名前書きにしても子供たちが保育園や入学した頃はその機会も多かったのですが、最近は自分達で書くので親の出番はありません。さらに自分のものに関しては、勤務医時代までは書籍・白衣等名前を書いていましたが、開業してからはすべてが私のものなので名前を書くことがありませんでした。2週間して注文の品が出来ました。名入れはひらがなかカタカナしか受け付けられなかった(子供向けの無料ですから)ので私のもひらがなでお願いしました。オーダーメード’はせがわこう’と刻印されていることにより変哲のない鉛筆は私にとって特別の鉛筆になりました。名入れの鉛筆大切に使わなきゃ。さて最初の一本、何を書く時に使おう?と考えていたら、三日坊主になっていた(子供には言えません)’えんぴつで奥の細道‘を思い出しました。新しい鉛筆を削って背を伸ばして書写する私(子どもの頃のかきかたの時間みたいですね)。心機一転、My鉛筆なら芭蕉とともに大垣までたどりつけそうです。

カテゴリー:公センセの日常の出来事

子供の病気 三男インフルエンザに   2007.4.15

小学校に入ってからは小児科のお世話になることがなかった子供たちです。(小学生になると病気しなくなる。また、夫婦そろって医師だと、よほどでない限り自分の専門分野に関しての病気だと動揺しないので、休養と経過観察のみで治癒にいたらせることが多い。そうでない場合も薬を処方して治ること多々ありなので)たまに風邪を引いて休むときは自宅で寝ていました。ただし、昼食は私と二人で(他の兄弟はなし)食べに行きコンビニで特別におやつを買ってもらうお楽しみがあるのです。しかし、診療が長引いたり、往診だったりすると子供たちのもくろみはハズれ、お昼も一人冷凍食品をチンするか私が帰るまで我慢して待ってることにも。(子供の欠席に合わせてこちらの診療は変えられないので)。だから、子供たちにとって休診日の木曜日に休むことになるのが一番ラッキーなのですが、そんなにうまく病気になるはずもなく・・・
そして今回三男は火曜日の夜中から高熱が出てしまいました。体温を測ってみると39度!抗生剤を飲ませるも熱はぐんぐん上がり39.6度に。たまたま夫(内科医)は所用で前日から留守。ぐったりした様子に眼科医の私ではさすがに手に追えず、小児科受診しました。’何小?何組?んー、今インフルエンザ流行っているんですよ、検査しましょう’ 結果は陽性。インフルエンザの可能性はこの時期はずれに全く予想もしていなかった私です。予防接種の効果もさすがにこの時期ではね・・’リレンザ(吸入薬)は手に入らないんです。タミフル使いましょうか。”お願いします(専門医にお任せします)’と言ったものの、自宅で一人で寝せておくのはさすがに異常行動がないか監視できず心配。かといってクリニックの処置ベッドに寝させるわけにもいかず.’病児保育お願いします!’おかげで午前の診療に従事でき、お昼休みに見に行ったときには相変わらずぐったりしていたものの、後ろ髪惹かれることなく午後の診療に戻ることが出来ました。病児保育は前から知っていましたが、利用は今回が初めてとなりました。病気のときは母親が付いていてやるのが一番ではありますが、子供は誰かいてくれれば結構安心する(特に我が家のように生後すぐ保育園育ちの場合)もの。実際三男は’今度からインフルエンザになったら(そんなに毎年罹ったら困る!)病児保育行くからね!”よほど優しく保育士さんたちに面倒みてもらえたようですね。働く女性にとって子供の病気は仕事との板挟みになりつらいもの、このような体制がどこにでもあるようになるといいですね。これからの女性は、仕事も子育てもあきらめない!がんばりましょう!

 

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など
  • カテゴリー

  • 最近のエントリー

  • カレンダー

    2024年5月
     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
  • アーカイブ

  • タグ

先頭に戻る