2024.12.17    今度は日本按摩

中国の按摩(マッサージとは厳密には違う)を施術してもらって以来、色々なマッサージが気になるように。

 

今までそれほど用もなかったのに、違いを感じたくてまずは手近なリラクゼーションに。

眼科医は常に細隙灯顕微鏡を使って診察をするので、前かがみになりがちです。

加えて電子カルテの入力をするので、首肩には負担が。

そのために首肩の筋トレをしている院長です。

無資格者(リラクゼーション店は資格不要)でも、マッサージしてもらえば気持ちよくなります。

リフレッシュにはいいかも。

ちなみに医師免許があれば、針灸按摩の施術は可能です。

 

 

次に、中医学の先生(前回の新彊で)に施術してもらった経験をもう一度…と、中国的な施術をしているところを探しました。

按摩推拿は、圧迫・さする・押す・つまむの意味だそう。

施術者は日本人。

本場中国に行ったことはなく、中国人から伝授された日本人からの伝授(孫弟子?)とのこと。

本場施術者の体験(私)を聞きたいようでした。

気持ちよくなりましたが、中国の先生の施術とは全然違う。

まあ、これも一つの体験。

 

街にはマッサージ店が溢れかえっていますが、按摩(鍼・灸も)の看板はめっきり見なくなりました。

あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師は、専門の養成施設や学校で学び、国家試験に合格して資格を取得します。

江戸時代以降、視覚障害者(盲人)の職業として定着していましたが、現在では晴眼者(目の見える人)の方が多くなっています。

昔は『あんまさん』と呼ばれていたような…

 

今回、視覚障害者であるあん摩マッサージ師に施術を受けました。

通された部屋には入っていくと、小柄な女性Aさんが『こんにちは~』

仕事柄、目には注意が行く院長。

両眼とも義眼です。

つまり盲目。

親し気な声でベッドに横たわるように言われます。

 

最初は、黙って施術をしてもらっていたのですが

『足、硬いですね~』と言われ

『たぶん筋トレしているので…』

『そうなんですか~私もね~運動しなきゃいけないんですけどね~』それを機に話が弾みました。

首もしっかり揉んでもらいます。

院長は普通のオバサン患者。

そのうち『失礼ですが、目は病気か何か…?』

『赤ちゃんの頃に、目に癌が出来たんですよ。取らないと脳に行って死んじゃうからって、両眼取ったんです』

『そうでしたか…』

オバサン患者の脳内、一気に眼科医にスイッチオン。

網膜芽細胞腫だったんだ!

 

網膜芽細胞腫は、眼球内に発生する悪性腫瘍です。

乳幼児に発症します。

腫瘍が大きくなり、瞳孔が白く見えようになることが特徴です。

また、低視力や斜視で発見されることもあります。

放っておくと生命に関わるので、昔は眼球摘出が唯一の治療法でした。

現在では、大きさによっては化学療法などで温存も可能に。

また両眼の場合は遺伝性である可能性もわかってきました。

院長も大学病院時代、該当する患者さんを受け持った経験があります。

今でも時々思い出す患者さんです。

 

生来の視覚障害者だけでなく、中途失明者にとっても資格取得は生活の上で重要です。

昔より視覚障害があっても職業の選択は広がっていますが、ある意味狭まってもいます。

按摩(初体験)で身体は気持ちよくなりながらも、頭は冴えてしまった院長でした。

 

 

こちらもご覧ください

2017.4.11 日本眼科学会in2017

 

 

 

 

カテゴリー:健康 公センセの日常の出来事 眼に関すること

2024.12.9   異国の按摩

中国語中年(院長)勉強中。

テキストに、足ツボマッサージ(足底按摩)店のシーンが出てきました。

足を頼んで、その後肩も頼むシーン。

今なら中国語で何とか言えるのですが…

 

初中国語圏・台湾で体験したのは、お馴染み足ツボマッサージ(足底按摩)。

お湯に足をつけて温め、ひざから下をマッサージ。

観光客相手で日本語もほぼOK。

観光体験としては十分楽しめました。

 

今年の夏の中国研修旅行。

休暇に入りぐっと疲れが出て初日から調子が良くなかった院長。

敦煌のガイドさんにホテルのマッサージを頼みます。

本場中国だし、この規模のホテルなら当然あるよね?!と思い、たどたどしい中国語でトライ。

ガイドさんは日本語で、ホテルはマッサージを斡旋していないから、個人的に探して派遣すると約束。

その晩10時、ドアをノックする音。

女性と聞いていたので、バスローブ姿で『こんにちは、私は中国語を習い始めたばかりなので、うまく話せません』(中国語)と挨拶。

OK,OKみたいな感じなので安心したものの、まずベッドの端に足先が向くように仰向けに。

足マッサージの始まりでした。

今までにない快感!

これが本当の足ツボマッサージ?

丁寧過ぎて足だけで1時間終わってしまうのかと心配になりましたが、うとうとしていると今度はベッドの上のほうへ行くように言葉と身振りで。

院長、ほぼ身振りで理解。

極楽~と思いながらうとうと。

今度は、頭をベッドの端に。

『マオチン、マオチン』と連発。

『〇チン?何?』埒が明かずにいたところ、洗面所へ走って行って持ってきたのはタオル。

『マオチン・毛巾・タオル』やっと繋がった院長でした。

最期は頭のマッサージで締め。

翌日の体調回復にはびっくりするほど。

謝謝。

 

これに気をよくして、最終日ウルムチでもウイグル族のガイドさんにマッサージの手配を頼みます。

『〇〇病院の東洋医学の医生・イーシャン(=医師)が来ます』

中国では、西洋医学(日本で言う医師)だけでなく中国漢方医学(中医学)もあり、漢方や針灸マッサージなどの方法で患者を治すとは聞いていたけれど…

中医師が直々とは!

しかも男性とのこと。

中国語の先生(女性)に、夜どんな格好で出迎え?たらいいのか相談。

相手は仕事(医師)ですが、ホテルの一室。

1対1。

バスローブじゃまずいでしょう?!

かといって、がちがちの服でマッサージされても…

結局、持参のパジャマを着て待つことに。

中国語の挨拶も粗相がないように…と無茶苦茶緊張。

ピンポーン。

相手は日本語で挨拶。

敦煌ブームで日本人観光客が増えた20年以上前に覚えたとのこと。

日本語多め中国語少しの会話。

まずは、椅子に座るよう指示。

首の後ろから頭頂に向かって強く指でなぞられます。

今までない体験。

『今夜よく眠れます』

ベッドでマッサージしながら、中医学について話してくれました。

西洋医学の各科から紹介されて治療すること。

按摩推拿という言葉があり、街中での施術は按摩で、病院は推拿といい中医師が担当するようです。

『〇番の骨棘ちょっと悪いね』

自覚はないので加齢のようです。

そのほか『日本の魚は食べても安全か(原発以来)?』など日本事情も興味があるようで…

強めでやや痛いくらいでしたが、そのあと背面の体温上昇を実感。

足の揉み方も激しかったのですが、その後すっと楽になりました。

さすが医生!謝謝。

 

中国語話せたらもっと気持ちよかったなぁ…

異国の按摩、again!

 

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2023.6.20 何しに台湾? その1

2023.6.27 何しに台湾? その2

2024.8.27 大家好(こんにちは)!

2024.9.3 大家好(こんにちは)!その2

2024.9.10 大家家(こんにちは)! その3

2024.9.24 大家好(こんにちは)! その4

 

カテゴリー:健康 公センセの日常の出来事

2024.12.3  人もワイン?!

11月第3木曜日はボジョレーヌーボー。

ボジョレーの新酒ワインの解禁日です。

 

20年以上前の大学院生の頃。

JRから金華山の岐阜城が見えると間もなく岐阜駅。

岐阜城は、懐かしさ(故郷)とともにエールをくれるシンボルでもあり。

木曜日は、大学病院の緑内障外来を担当し研究もして、ふらふらになりながら一目散に家に向かいました。

幼い子供たちは頑張って起きて待っています。

翌日は自院の診療です。

 

現在よりもずっとバタバタの毎日でしたが、それでも、大学院を経て医学博士を取得したときは感無量。

実際には、博士号取得後の恩恵よりも、博士号を取る過程で勉強・研究したことが大きな収穫となりました。

 

大学病院の緑内障外来は、進行した緑内障患者さんや、手術前後の患者さんなどでいっぱい。

クリニックでは経験しないような症例も多く経験。

これも眼科医として知識と経験の財産となっています。

そして、途切れることなく新しい知識を得ることもスムーズになっています。

 

 

最近、重症化する緑内障のタイプがわかってきました。

進行が速い患者さんとは…

1,高眼圧

開放隅角緑内障では、眼圧が1mmHg下降するごとに、進行リスクが10%減少。

正常眼圧緑内障では眼圧を30%下降により約8割が進行抑制された。

2.落屑(らくせつ)症候群

落屑とは、加齢により瞳孔周囲に付くふけのようなものです。

落屑緑内障は平均的には正常眼圧緑内障より進行が10倍速い。

3.睡眠時無呼吸症候群

眼圧が低くても進行しやすい(肥満・加齢・男性は発症要因となる)。

 

 

QOLが低下する患者さんとは…

1.中心視野障害がある

日本人に多い正常眼圧緑内障は中心視野障害を生じる頻度が高い。

強度近視の正常眼圧緑内障は早期から中心視野障害が生じやすい。

 

まだ20年前にはわかっていなかった知見です。

多くの症例・論文の積み重ねで新しいことが分かってきます。

 

さて、当時は今よりもボジョレーヌーボーの売り出しが盛んでした。

11月の第3木曜日の大学院の帰りには、必ずお勧めのワインを買って帰りました。

新酒だけあって、渋みもなくフレッシュ感があり、普段飲まない院長でも飲みやすかったです。

 

いつの間にか普段飲むようになった院長。

そしてボジョレーヌーボーも買わなくなりました。

好みは重くて渋みのある辛口赤ワイン。

ちなみに赤ワインは緑内障発症率を下げる傾向ありと言われています。

今日の一日に『お疲れ様!』

 

最近読んだ終活をテーマにした小説。

75歳の主人公が、高校1年生の時の憧れの女子に、終活と称し再会の機会を図ります。

再会した彼女は、初々しく清楚な女子高生はどこへやら、苦労の人生を経て同居の嫁の悪口を話しまくる婆になっていた、という始末。

親しい知人にその落胆を話します。

しかし落ち着いた先は…

『昔は、えぐみも渋みもなくて複雑さもないライトボディのワイン。

今のほうがずっと面白い。

意地も悪いし策士だけど、それが人間の複雑さになっていた。

まさにフルボディ』

 

なるほど。

楽しいことも悲しいことも、嬉しいこともつらいことも、たくさんの経験をすることによって、自分というワインが熟成されるのだと思えばこの先も乗り越えられそう。

目指せ、最高のフルボディ!です。

澱(おり)も溜まるくらいに!

 

 

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 2024.11.26  目の神様in奈良&愛知

始めは偶然知った目の神様も、だんだん、目の神様巡りが旅のテーマのひとつになっています。

患者さんから『目のお寺、好きなんですか?』

と、聞かれることがあります。

好きか嫌いか?と聞かれれば、好きでお参りしているのですが、寺社仏閣に対して『好きです』は何ともミーハーみたいで答えるのに躊躇します。

一眼科医の興味…ですが、信心を持っての参拝客には失礼な答え。

地元のお寺で毎週お経を習い(子供会単位で!)、家でも仏壇に手を合わせお経を読んで育った院長。

医師になるまでは、何事も御仏が助けてくださると信じていましたが、医学(科学)の道を進むうちに何でも祈願祈祷で良くなることはない事実も目の当たりに。

ほとんど無宗教に近い現在でも、それぞれの寺社仏閣にご利益に至るゆかり話に興味はあるし、足を運び参拝することに意義があると出かけています。

 

今回は、奈良・壷阪(つぼさか)寺。

ここは以前『近鉄三昧・阿呆列車』で吉野への通過駅です。

 

せっかくなので法話も聞ける日を選びます。

橿原神宮からの電車は混んでいましたが、飛鳥で多くの人が下車。

壺阪寺下車客は数人。

小さな駅から1時間に1本のバスに乗り込み高取山の中腹へ。

 

壺阪寺は、眼病封じのお寺で、歌舞伎『壺阪霊園記』として有名だそう。

今から300年以上昔、座頭の沢一は条坊お里と暮らしていた。

お里は午前4時になると床を抜け出していた。

もしや、好きな男でも…と問いただすと、この3年壷阪寺の観音様に朝詣でをしていた。

沢一は自分も観音様にお参りを始めたが、盲目ゆえに不遇な暮らしをさせていると思い身を投げた。

それを知ってお里も身を投げてしまう。その夫婦愛に、観音様の霊験で二人は助かり、沢一の目が開眼した。

 

真偽はともかく、エピソードを知ることも『へ~』

 

ここでは、お守りや数珠だけでなく、目薬や目薬の木飴・せんべいなども売っていました。

目薬の成分は確認して、お守りとせんべいをいただきました。

 

また、別の日。

灯台下暗し。

愛知県にも目の神様があることを知る院長。

知多の『めがね弘法』大智院。

眼鏡をかけている弘法大師です。

安政7(1860)年、目の不自由な浅吉翁が身代大師に祈願したところ、目が見えるようになった。

代わりに大師の左眼が傷つき、以来、翁の残した眼鏡をかけられるようになったとのこと。

 

現代は、目の病気があったり目が見えなくても、黒い眼鏡をかけることはなくなりました。

しかし、昔は、黒い眼鏡をかけている事=視覚障害者のイメージでした。

黒い眼鏡と白杖が目の見えない人のイメージとなっていました。

 

黒い眼鏡は遮光の意味と、表から眼の状態を隠すために使われてきました。

 

めがね弘法の眼鏡も眼病(もしくは怪我)を隠すためと思いますが、今の人が見ればサングラスをかけた弘法に見えます。

最近は丸い眼鏡が流行っているので、今風に見えないこともないです(罰当たり)。

 

ちょうど、めがね弘法大祭の日。

眼病平癒・健眼長寿の加持祈祷がされていました。

○○(住所)の○○(名前)の○○(目の病気)と祈祷の声がリズムよく流れてきます。

つい病気・病名で祈祷されている人のことをしばし想像する院長。

ちゃんと眼科もかかっていますよね?!

ここでも目薬・目薬の木のお茶・先見(先がよく見える)飴が売られています。

 

目の神様に『へ~』を見つけに参拝する罰当たり?な院長です。

もちろん患者さんの眼病治癒祈願をしています。

■目の神様シリーズはこちらからご覧ください

目の神様in 鎌倉

目の神様 in平泉

目の神様 in 仙台

やりなおしたい?

初めての御朱印

身代わりどじょう

目の霊山

余呉へGO,GO

鎌倉好き

医者も祈願する!?

 

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2024.11.19   開けてみた!

『頑張った自分へのご褒美として40歳の記念に買いました』

某ファッション雑誌で、石のピアスを付けたメイクアップアーティストを見たのは、院長30代の頃。

『素敵~』

いつかは、いつかは…と思っているうちに、40代はあっという間に過ぎ、気が付くと50代に。

偶然出会った石のピアス。

ちょうど開業25周年。

40歳からはずいぶん経ってしまいましたが、この機会・記念に買わないでどうする?

あいにくピアスの穴を開けていないので、イヤリングに再加工依頼。

 

出来上がったイヤリングは、繊細でとてもきれい。

仕事柄、指輪は出来ないので耳でお洒落を楽しみます。

とある晩、自転車で近くのスーパーまで買い物に。

マスク・眼鏡・帽子で。

自転車を降りて、両耳を触ると(このイヤリングを買って以来、耳たぶ確認!)左耳のイヤリングがありません。

血の気が引きます。

家からスーパーまでは500メートルほど。

買い物どころじゃない、探さなきゃ…

息子たちが、たまたま家に居たので電話。

かくかくしかじか…

それぞれが懐中電灯を持ってスーパーに向かってきます。

私も自転車を止めて探します。

『なかったわ~』と息子たち。

『やはり…』失意のどん底…絶望感…

と、最後に来た息子が、少し手前の街路樹でしゃがみ込み『これ?!』

手に取り『これ!これ、これ!』

見つかりました!

息子たちありがとう!

 

この一件以来、イヤリングは引き出しの中に眠ることに。

 

ある日ふと…

何のために買ったの?

また落とすかも…って、ずっと付けないの?

いつ付けるの?今でしょ!

自身と問答。

ピアス穴を開ける決心をした院長でした。

決心をしたものの、ピアスをしている知人その他にヒアリング。

どこで?痛みは?ケアは?などなど。

 

クリニックで、友人に…開けてもらい方は色々みたいです。

当初は、クリニック(何科でもよい)に行こうかと思っていましたが、息子たちに経験を!と思いついた母。

早速、息子たちに左右それぞれ開けてもらいました。

彼らも初体験。

下の息子はやや躊躇し、先にやった兄に『押すだけ。早く』と急かされる始末。

案ずるより産むが易し。

一瞬のチクッ!

今まで散々自分は保守的だった…と実感した瞬間でした。

 

ファーストピアスを付け、スタッフへ報告(何でも報告する院長)。

ファーストピアスの注意や、セカンドピアスへの移行などなど注意を仰ぎます。

ポスト(ピアスの軸)も最初は気になりましたが、段々慣れてきました。

美容室では『ピアスにしたなら攻めのショートにしましょう』と提案され。

 

ある朝、ベッドの上にピアスが一つ。

寝ている間に、掛布団に引っ掛かって取れたようです。

ベッドの上で良かった。

今度は家中を探さないといけなくなる事態でした。

 

♪どこかで半分失くしたら役には立たないものがある~♪(真珠のピアス 松任谷由実)

………♪そっとベッドの下に片方捨てたAh~真珠のピアス~♪

 

人からもらったものは、その人との縁次第かも。

自分で買った思い入れ(特に頑張りへのご褒美)のものは、簡単に手放せません。

 

イヤリングから再びピアスになって戻ってきました。

当初から、ピアス穴を開ける決心をして、ピアスで買っていたら…

と思わなくはないですが、人生、気付いた・気になった時点での行動は多いもの。

ピアスの穴開けに恐れおののき、今回は、後手に回った院長。

 

手持ちのイヤリングは全てピアス仕様に。

遅まきながら、ピアスのお洒落を楽しみます。

 

 

 

 

 

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2024.11.5  健康だから仕事が出来る

院長は、医師・歯科医師の任意団体の休業補償委員をしています。

気が付けばもう10年以上前から。

どのような経緯で引き受けたのかわかりませんが、必要があれば対応する(イレギュラー)仕事なので…と頼まれたのか…?

休業補償の掛け金を毎月掛口分支払い。

病気やけがで診療が出来なくなった時に、掛口数に応じて休業補償金が出ます。

対象の会員は、所定の書類を書いて、休業補償委員に送ります。

委員は、その会員と電話や面談をして、事実確認や不備の有無を確認、押印して事務局に送ります。

愛知県下・名古屋市下にも何人かの委員がいて、委員会業地周辺の会員からの要請がほとんどです。

 

相手の先生に連絡を取る時は少し勇気がいりますが、お見舞いの言葉と休業補償の確認をすると、何となく相手のこともわかり、まんざらでもない役だと思っています。

 

さて、今年からは、休業補償委員審査会にも出席の依頼が。

事務局に提出された休業補償金申請書類は、月ごとに事務局でまとめられます。

○○先生○○歳

病名

既往歴と現病歴

休業日数など

これらを休業補償委員たちが確認、疑義照会などして、委員長が決裁します。

その後、全国の総審査会に諮ります。

 

今までは、近隣の先生たちの病気やケガでの休業だけだったので、毎月仕事があるわけではありませんでした。

しかし、愛知県中となると…毎月毎月該当者はあります。

健康で仕事できることを意識する場でもあります。

 

65歳以上75歳(加入上限年齢頃)が圧倒的に多い。

脳疾患・心臓疾患・がん・整形疾患な・怪我など。

既往歴のある人もそうでない人も。

医者の不養生では片づけられません。

 

 

数年前、A先生から休業補償申請用紙が郵送で。

A先生の字で一筆箋が添付。

A先生は一回り上でしたが、年に何回か食事をする仲でした。

体調を崩され癌になったと聞いて以来、こちらからも連絡を控えていました。

仕事(休業委員)にかこつけて、電話しようっと。

翌日、携帯電話に電話すると…

『もしもし、A先生?長谷川です、ご無沙汰しています。』

『もしもし、長谷川先生ですよね?』

あれ?男性の声。

『Bです。息子の。母は、昨日亡くなりました。お世話になりました』

何てこと!

小康状態になって、休業補償申請じゃなかったの?

最後の字を見つめ放心の院長でした。

その後Bさんが、保証の手続き(休業・死亡)に来院。

Bさんのことは、高校生の頃から知っています。

『凛としてきれいなお母さんだったわね~』

『やつれた姿を家族以外に見せたくなかったようです』

亡きA先生を偲びます。

そして今でも時にA先生を思い出します。

 

まだまだ死を意識することは無い毎日。

それでも、来る老後(将来)のために、体を鍛え頭を鍛え…日々の感動感激を大事にして、と意識はするようになっています。

 

休業補償委員会が早めに終わったので、いつもは地下鉄を使う区間を歩いてみることに。

名古屋駅に向かう大きな道路を中に入ると小さな路地・路地・路地。

神社にお寺、民家。

そびえるビル群のふもとにこんな場所があるなんて!

ドンドン・ピーヒャラ、ピーヒャラとお囃子の音が聞こえてきます。

からくり人形の乗った山車があちらから、こちらからとやってきます。

塀に貼ってあるポスターには『名駅山車揃え・下町に続く200年の伝統』

郷愁を誘う意外な出会いに寿命が伸びそう。

 

階段を降りると、そこはいつもの都会の地下街。

束の間の異次元ワールド、今日の感動。

明日の仕事への糧。

 

 

 

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2024.10.29 またまた島医療

南の離島医療を見学して以来、南に行ったら北もいつか…と思っていた院長。

北海道の北端の島、利尻島と礼文島。

利尻島には病院が一つ、小さな診療所が二つあります。

礼文島には有床・無床診療所が一つずつ。

国保組合立と北海道立の公立医療機関です。

 

気になれば動いてみる!の院長。

今回も、見知らぬ相手(病院・診療所)に見学依頼の電話とメールを送ります。

就労に興味もしくは希望のある若手医師ならいざ知らず、年季の入った開業医が何故?と思われるのは承知の上。

自分の思いを伝えます。

 

利尻・礼文島行き決行。

 

院長は、学生時代に利尻島と礼文島に行っています。

当時全国大学生協が企画した北海道一周ツアー。

札幌発着10日間で、バス・フェリーと宿泊食事代全て込みで10万円だったような。

全国からの大学生と相席・相部屋で各地を回りました。

 

さて今回は、人生もう一度の利尻島と礼文島。

礼文島の診療所は、有床の割と大きい診療所です。

3代目の所長となるM先生は、お父上も2代目診療所長で僻地医療に尽力されてきた先生です。

一時は一緒に働いておられましたが、お父上は引退され、今はM先生(息子)が切り盛りされています。

地元で育って地元の医療を守る…理想的です。

しかも、現代風に自身の研鑽で島外に出るときは、代わりの医師が来るシステムを確立されています。

 

礼文島の澄海(スカイ)岬は、中島みゆきの‘銀の龍の背に乗って‘のPVが撮影された場所とのこと。

‘Dr.コトー診療所‘の主題歌。

最西端・与那国島のDr.コトー診療所ロケ地と最北端・礼文島スカイ岬でのPV。

どちらの地にも立った自分。

不思議な感覚。

 

利尻島は病院なので、常勤医が4名います。

うち一人は島の国保の診療所に出向しています。

常勤医師は、利尻島と縁もなく、それでも何かのきっかけで来島、離島医療を担っています。

事務長も島とはゆかりのないひとで、札幌から単身赴任です。

公立病院経営強化プラン白書を見せてもらいました。

元SEだけあって分析がきちんとされており、大変分かり易い資料でした。

 

島の著しい少子高齢化により、病院の経営も深刻になります。

外来患者の増加はあまり期待できないとのこと。

入院機能があることにより、一般急性期~回復期~慢性期~終末期と幅広い対応をしていかないといけません。

医師の確保(医師の働き方改革に乗っ取った)や看護師の確保(島外からの派遣が多い)。

事務長の立場からすると、税金の補填があると言っても、僻地・離島の医療は経営上も難題がたくさんあります。

 

眼科は、稚内から月に1度。

与那国島と同様全て予約制です。

休日診療所程度の装備しかなく、視野計もOCTもあればいいのに…と思いますが、患者さんの数を考えれば導入できません。

 

離島は与那国島もそうでしたが、島外へ出るには交通費などの補助があります。

利尻島から一番近い稚内へフェリーで1時間40分。

札幌には飛行機で50分。

 

それでも緊急時は、ドクターヘリ・防災ヘリ・自衛隊ヘリで搬送。

手続きに時間がかかるそうですが、その遅れについて患者さんからのクレームはないとのこと。

離島での医療は、患者さんの覚悟も必要です。

 

最北と最南の島の医療を垣間見て…

院長は、今直接行動は出来ないけれど、自分で行って・見て・知って良かった!

いつかは、離島にお手伝いに行けることがあるかな…

 

食堂の旬(夏)のうに丼は1万円!

う~ん、1,300円の海藻ラーメンを選んだ院長です。

 

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2022.12.6 リアルDr.コトー  その1

2022.12.13 リアルDr.コトー  その2

2022.12.20 リアルDr.コトー  その3

2023.4.25  八重山にとって…

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2024.9.24  大家好(こんにちは)!  その4

夜遅くトルファンで待っていたのは、いわゆる中国人顔でないガイドさん。

これからウイグル族のお家で夕食です。

ここからのガイドCさんもウイグル族です。

 

新疆(しんきょう)ウイグル自治区は中国の最西端、中央アジアに隣接しています。

省・自治区でも最大の面積を持ち、地下資源が豊富、また農作物にも恵まれています。

近年は漢族(いわゆる中国人)が入植し増加(42%)していますが、元々のウイグル族が45%、他50以上の少数民族から成り立ちます。

個々の民族が自分たちの文化を持ち、融合もしなければならない時代背景あり。

 

訪問したのは、郊外の農村です。

ウイグル族はイスラム教徒なので、豚肉料理は無し。

ナンというパン(インドのとは違う、乾いたピザクラフトみたいな)。

麺やスープの味付けは、エキゾチック。

テーブルクロスやカーテンも食器もウイグル特有の模様。

さっきまで日本語(私たち向けに)と中国語(先生向けに)に話していたCさんも、家人たちとウイグル語で会話。

 

トルファンは夏は40℃以下なら涼しい(最高49℃!)そう。

農村部ではベランダにベッドが置いてあります(夜寝る)。

滞在した日は最低24℃・最高41℃日差大。

1月の平均気温は最低-13℃・最高-2℃。

年間平均降水量は16mm!

完全な砂漠気候です。

 

世界遺産の高昌古城などの見学に、砂漠の中を走っていきます。

中国の観光は、国土が広いため、市中からチケット売り場まで200キロ、そこから専用バスに乗り換え40分なんてこともあります。

 

面白かったのは、火炎山の砂卵。

注文すると、店番の子供が傍らの砂山に埋めてある卵を手渡してくれます。

砂の地熱でいい塩梅に火が通っています。

砂山に埋めた卵を売るだけですが、観光客相手に、この一家の大事な商いです。

 

バスでウルムチに入る時に、全員一度降りて検問。

最後の訪問地です。

モスク(イスラム教の礼拝堂)があちこちに見えます。

もちろん漢字とウイグル文字(アラビア文字ではない)の併記。

 

ウイグル族はイスラム教徒です。

敦煌でのバス運転手さんは、中国人でしたがイスラム教信者の回(かい)族でした。

また、民族により多数の宗教があり、大陸の交流・侵攻により宗教も文化も大きく流動する様を感じました。

ウルムチは近代的なビルが立ち並び地下鉄もある350万人都市。

街の中心のバザールでは、どこの国に来たのかと思うほど。

ドライフルーツや漢方・パン(ナン)・果物や日用品・洋服などなど。

人を観察すると、カザフやキルギス系・モンゴル系・インド系・トルコ系・ロシア系と思われる顔立ちの面々。

民族衣装を着た人もたくさんいます。

 

 

日本の単民族国家で生活してきた院長にとっては、とても新鮮な驚きでした。

同じ仲間とは自分たちの言葉で。

私たちや中国人とは中国語で話します。

私『いくらですか?』

『○○元(数字の聞き取りが弱いことを猛省)』

すかさずお助け隊が入ってくれます(先輩たちも会話したい)。

私『高すぎる、安くして』(とりあえず言ってみる)

『○○(数字が出ると、まだすぐに日本語変換できない)』

お助け隊で解決しない時はA先生がヘルプです。

 

たくさんの刺激を受けた研修旅行。

いくつになっても興奮!わくわく!

話しかける度胸はあっても、お助け隊のお世話になること多々。

話して…?、聞いて…?だらけでしたが、たくさん課題も見えてきました。

もっと出来るようになりたい!

加油(頑張れ)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024.9.10  大家家(こんにちは)!  その3

敦煌最終日は、中国3大夜市の敦煌夜市に行きました。

日没は8時半くらいなので、人々は昼間休憩してから、また活動を始めます。

深夜を過ぎても賑わっています。

色々珍しいものがあり、ついふらふらと店に寄って行ってしまいます。

焼いた羊の頭・駱駝(ラクダ)の乳などなど。

『水晶眼鏡』も気になりました。

水晶のサングラスです。

この眼鏡だと猛暑でも涼しいとのこと。

すごく気になったのですが、『チャングウチャン、行くよ~』

先輩方は、あまり立ち止まりません。

こども(院長)が気になるとあちこち行ってしまうのを抑えてくれています。

謝謝。

 

旅行中、昼食・夕食はすべて中国料理のコースでした。

円卓を囲んで座ります。

ビールは冷えていましたが(ガイドさんの気配り)、コップは冷えていません。

お代わりの瓶ビールはぬるめです。

中国人は、冷たいもの(キンキン)を好まないそうです。

電解水や水・ジュースは冷えたものがありますが、常温~温かいお茶が好みのよう。

 

前菜・湯(スープ)・主菜何品か・主食・点心(デザート)

スープは具沢山です。

鶏肉・豚肉・牛肉・羊肉の炒め・煮込みなど…多種多彩。

魚は、川魚(30センチ以上)の活魚の蒸し焼き料理が出ました。

青菜だけでも2・3種類味を変えて出てきます。

主食は、米飯・麺(麺は色々な味付け)

デザートは、ほぼ西瓜と瓜。

時々、白きくらげのシロップ漬け。

A先生の大好物なので講釈(店による違い)も。

日本の中華料理よりもあっさりしているものが多く、肉魚に加え野菜も多く、医食同源を実感します。

ちっとも飽きない、日本にはないけれど馴染みやすいお料理ばかりでした。

 

食事の際は、原則、A先生は中国語で話します。

まずは中国語での自己紹介から。

『初めまして。私は長谷川公です。昨年から中国語の勉強を始めました。先生と勉強するのが楽しいです。でも、まだ上手く話せません。

趣味は、旅行と読書と筋トレです。よろしくお願いします』

 

名前紹介時『こういう漢字の○○です』を付けると良いらしい。

先輩たちは、もっと自己紹介が長いので、何回かに分けることになりました。

 

先生の中国語は、現地の中国人よりは分かり易い(分かり易く話してくれる)けれど、院長の能力では限界があります。

みんなの会話は聞こえるのに付いていけません。

大人の食事会に子供が付いて行ったよう。

食後『さっき、何の話でした?』と度々聞く羽目の院長。

最年少=中国語能力最低を再度自覚(やれやれ)。

 

中国では、入国から始まり、観光場所・鉄道・高速道路の検問所などなど毎回パスポートの提示が求められました。

個人への監視・管理は徹底しているよう。

悪いことはしてなくても緊張します。

 

トルファンへは鉄道で。

この検問がまた厳しくて、空港の保安検査場以上。

余裕をもって駅に入ります。

何もすることがない待合室。

しかも列車は1時間に1本。

することがないので、一人で便利店(コンビニ・キオスク)で、細々とした煮卵やソーセージ・お菓子を買いました。

中国は、駅や列車・空港などに給湯所があります。

硬水なので、多くはマイ水筒を持参(茶葉を入れて)。

 

約4時間かけてトルファン駅に着いたのは夜10時前。

駅を出た途端、何かが違います。

 

看板の文字が漢字だけでない!

空港では、英語表記があり、対比すると理解できました。

ここではアラビア文字らしき横文字が…

 

中国のアナザーワールドの旅が始まります。

 

 

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2024.9.3 大家好(こんにちは)!その2

敦煌はかつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市です。

敦煌と言えば、日本では1988年に公開された映画『敦煌』(井上靖原作)で火が付き、当時多くの日本人が訪れたそうです。

院長は見ないまま終わってしまっていました。

 

世界遺産の莫高窟(ばっこうくつ)はとても有名。

その他、月牙泉や鳴沙山、玉門関・陽関遺跡など。

敦煌博物館も。

数日に分けて現地ガイドのBさんに説明を受けました。

莫高窟では、さらに専門の研究員のガイドさんから説明。

2人とも日本語がとても流暢で、しかも歴史にも造形物にも詳しい。

そしてどんな質問にも日本語で答えてくれます。

 

16万人の都市なのに、観光客は1日20,000人!

ほとんど中国人です。

日本人の人気観光地ブームは去ったようです。

(以後も旅程中、日本人に遭遇せず。)

 

遺跡・遺産にすごい!しか言えない浅学の院長。

(メモは取ったけど)

 

敦煌での一番は駱駝(ラクダ)に乗ったこと(子供みたい)!

砂漠の山、鳴沙山には、飼い馴らした駱駝が3,000頭程。

その多さにびっくり!

みんなおとなしく座っています(ずっと同じ姿勢)。

落馬ならぬ落駱駝事故が頭をよぎりましたが、年長さんメンバー全員騎乗と言うことで、それなら最年少院長はまず大丈夫と確信。

アジアはフタコブ駱駝なので、コブとコブの間に乗ります。

立つときはまず前足から。

一瞬後ろにのけぞります(駱駝がしゃがむときは、前足からなので前のめりになります)。

ここで落駱駝しなければ大丈夫、駱駝はゆっくり優しく歩いてくれます。

駱駝引きが5頭を携えて、砂山を歩いてくれます。

遠い昔の人は、こうして(たくさん荷物も持って)シルクロードを行き来したのだな~

月の砂漠を~♪どころか想像を絶する過酷な旅だったはず。

途中で止まって写真撮影。

『ポーズを付けて!』とか言って、個々の写真を撮ってくれます。

終わるとチップを請求されます。

どの観光地でも、中国人は老若男女、写真撮影の時は手を広げたり、飛んだり、衣装を着たり…をよく見ました。

(院長より年上のA先生も、ジャンプした写真を撮ってもらっていた)

 

今、中国人に人気のあるツアーは、砂漠を1日25キロくらい歩いてフルセットの移動キャンプに泊る2泊3日のツアー。

都会の心の乾いた中国人が、乾いた砂漠を、家族や友人・仕事仲間と歩き語り合うことで結びつきの強化や再構築が出来るオアシスセラピーも兼ねているそう。

 

砂漠の暑さは相当。

連日昼間は40度近くで紫外線も強い。

長袖長ズボン帽子にサングラス。

砂嵐のためのマスクも欠かせません。

天気予報には『砂嵐』予報もあり、砂嵐になると前方が見えません。

 

皮膚からの蒸発が多いので、尿量は減ります。

ミネラルウオーター(中国は硬水)を入れても胃から吸収されなくなってきました。

念のためにと日本から持ってきたポ〇リが有り難かったこと!

胃から吸収されていく実感があります。

 

中国でも同様のドリンクが欲しい。

ポ○リは見当たりません。

スポーツドリンクってどう言うの?

『スポーツした後の飲み物ありますか?』

 

なんだっけ…と焦り、飲料・走る&汗(ジェスチャー)をしてしまった院長。

早口で尋ねられるほどに???

お店の人は、違うものを出してきました。

焦るな、私。

助けもあり、やっとスポーツドリンクを手にしました。

『電解水』

なるほど~。

新しい単語1個覚えました。

 

 

 

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