2022.12.13 リアルDr.コトー   その2

与那国島へは、プロペラ機で入島します。  →前回の記事はこちら

蒸しっとした暑さと、ひどい強風と雨(突然降って突然止む)。

南の島~のイメージは到着後、すぐ打消し。

 

島は周囲約27キロ。

人口は1700人弱(ちなみに当院がある名古屋市緑区は約25万人)。

与那国診療所は、島に3つある集落の最も中心の集落にあります。

町立ですが、地域医療振興協会(JADECOM)の管理となっています。

所長(といっても医師一人)こそ、リアルDr.コトーのS先生です。

S先生は、JADECOMの理事ですが、先月で医師不在になり、急遽那覇から与那国に移住し、診療されています。

無医島にするわけにはいきません。

沖縄県には離島が多くあり、JADECOM、県立病院からの派遣、その他経路で医師が診療に従事しています。

みんなリアルDr.コトーです。

 

この日は、割と一般的な病気ばかりだったので、救急搬送をしないといけないケースはありませんでした。

電子カルテが導入されており、CTも設置。

地元の患者さんはそれほど多くないのですが、観光客の増加に伴い多忙になる時も。

一応何でも見ないといけないので、総合診療の現場でもあります。

そのため、初期研修医の地域医療実習機関にもなっており、1年目の医師が1か月研修に来ていました。

いい年をしたオバサン医師(院長)が突然何しに?と、当初、不審そうな目。

そうですよね~(ちゃんと、自分の経歴を説明)。

 

島の医療体制で限界と思ったら、すぐ石垣島や本島(沖縄)に紹介するのが、離島医療の約束。

一人で抱え込まないのは、何処の医療でも同じ。

ヘリや飛行機・船で島外の医療機関に受診して、軽症なら何より。

手遅れにならないように見極めることは、島医療で大事なことです。

Dr.コトーは一人で大手術もしてしまいますが、それはドラマならでは。

 

眼科・皮膚科・耳鼻科・整形外科・産婦人科は月に一回2~3時間外部からの医師による診療があります。

数時間の診療なのは、医師が日帰りのため。

 

カバーが掛かった眼科の機械は、割と新しい。

外来開設に合わせて導入したとのこと。

しかし、最低限のものしかなく、特に眼科は精密光学機器の発展が著しいので、初期の診療にとどまらざるを得ない歯がゆさを感じました。

緑内障のフォローは難しい…

 

先日、鉄粉が入った患者さんが来院。

取れず、石垣島の眼科へ紹介したとのこと。

『どうすれば?』と聞かれ、『眼科医なら顕微鏡下で鉄粉を削り取ります(お手の物)』と答えるも、眼科医でも顕微鏡がない場合は無力だ…と気付く院長でした。

 

産婦人科も月に1回。

妊婦は予定日1か月前になると、島から出て、石垣島や本島・里帰り出産の準備をします。

それ以前に破水でもすれば、ヘリで搬送です。

 

島に暮らす人は、島医療の限界を知っているから、島外に行くことにはそれほどハードルが高くないようです。

石垣島へは、飛行機で25分、フェリーで4時間ですが、生活用品や診療など結構日常的に出かけることが多いようです。

 

民宿の食堂で3人で夕飯を。

ひどく疲れていた院長。

お疲れさま!の一杯が欲しいところ。

S先生は飲まない(飲めない)のだとか。

常にオンコール。

携帯の119が鳴ったら出勤です。

離島では、飲めない体質の方がいいようです。

土日は休みですが、島外からは出られません。

かといって、島内で何をするかというと…?

好きな趣味やすることがあればいいのでしょうが。

院長も若い頃、岐阜の地方の病院に赴任、仕事後は手持ち無沙汰になった記憶が。

結局、地元のオジサンオバサン(と当時は思っていましたが、50~70代)の文化人サークルと称する飲み会に入れてもらいました(一応紹介承認制)。

代診の派遣でまとまった休暇がとれるような制度はあるそう。

医師も人間、解放される時間は必要。

 

島医療の熱い話を聞きながら、医師の生き方あれこれ、自分の来た道あれこれ交錯。

布団に入ってもなかなか寝付けませんでした。

 

*次回に続きます*

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2022.12.6 リアルDr.コトー  その1

地図を眺めるのが大好きな院長です。

行った所は、回想を。

行ったことがない所、行ってみたい所は想像・妄想を。

 

北は稚内・利尻島・礼文島まで(学生時代)。

南は石垣島まで(家族旅行)。

石垣島は、子供たちが小さい頃だったのでマリンスポーツ三昧。

そして、西表島を筆頭に周囲の離島観光。

ドタバタの珍道中だったけれど、過ぎてしまえば懐かしい思い出(親だけ)。

 

さて、石垣島・西表島を南下すると、日本の最西端の島『与那国島』。

どんなとこだろう?

以前から気になってはいたものの、行くにはハードル高し。

名古屋から1791キロ。

石垣島から117キロ。

日本最西端の岬の先は、111キロ先の台湾。

 

与那国島は『Dr.コトー診療所』のモデルにもなっている島です。

吉岡秀隆さん演じる主人公『Dr.コトー』と島の人の医療をめぐるヒューマンドラマ。

自身の吉岡さんのイメージは、『北の国から』の純、『男はつらいよ』の光男。

どちらも、ほぼリアルタイムで見たので、院長の年代が分かるというもの。

『Dr.コトー診療所』は、現実にはない虚構(医療ドラマはほぼそうです)で職業柄興味もなく、つい最近再放送で見たくらいでした。

 

院長は、旅先・学会先で、つい病院や医院の看板や建物に目が行ってしまいます。

ここでどんな先生がどんな診療をしているのだろう?

地方に行けば尚更で、時には宿の人に質問してしまいます(変人の客かも?)

 

Dr.コトー診療所のロケ地やモデルの診療所が今もある与那国島。

リアルな診療所が実在するはず。

実際、町立の与那国診療所があります。

そこではどんな医療がされているの?

架空の島『志木那島』でなくて、与那国島のリアルDr.コトーに会いたい。

離島医療を知りたい、勉強したい!

動き出した知的好奇心は止められず…

手紙をしたため、電話をし…と、我ながら驚くほどの積極的なアプローチにて、見学出来ることに。

 

実は、院長は過去に一度だけ離島医療に従事したことがあります。

まだ、大学病院にいた頃。

当時、鹿児島のある離島に月に一度、ローテーションで外勤がありました。

土曜の朝に名古屋空港(小牧です)を発ち、鹿児島で別の飛行機に乗り換え、島へ。

土曜の午後と日曜の午前診療を終えて帰路に。

1か月に1度の外来に、多くの患者さんが来院されたこと。

急を急ぐ病気や、経過を見ないといけない患者さんは、奄美大島や鹿児島に送るしかなかったこと。

他科の医師と話して、色々な生き方・働き方があるのだと知ったこと。

大学病院しか知らない若造(院長)は、結構な刺激を受けました。

 

*続きは次回に*

カテゴリー:未分類

2019.3.5  約30年ぶり

ドラゴンズの春キャンプ、基地移転問題、県民投票…『沖縄』が話題になっています。

沖縄…暖かいだろうな~

 

『そうだ、Aさん今何してる?』(テレビ番組のタイトルみたいですが)

Aさんは、大学で実習グループが同じだった仲。

朝10時に教室集合でも、来るのは午後2時頃だったこともあります。

『ごめ~ん。沖縄では普通だから…』(沖縄タイムと言うらしい)

初めて沖縄県人に遭遇した私達(ほぼ岐阜・愛知県人)にとっては、そういうものか…と、妙に納得するも、ユニークな人であったのは間違いありませんでした。

 

帰省のお土産には、米国製のガムやチョコレート。

軍基地で働いている知り合いがいると、米国製のお菓子などが手軽に入手出来るとのこと。

米軍・基地・外国菓子…自分の知らない世界。

 

卒後何年かして、実家にAさんから電話。

『どうしたの?』

『元気かな?って思い出して』

聞けば、沖縄の小さな離島の診療所で従事しているとのこと。

 

それから幾星霜。

今度は、私が思い出したのでした。

検索してみると…ヒット。

職場に電話してみると、スムーズに取次。

『どうしたの?』

『元気かなって思い出して?〇月〇日行こうと思うから、会えたらいいな~』

『ちょっと待って…。空いてる。OK』

 

と言う訳で、沖縄日帰り決行。

スプリングコート、上着、半袖でセントレアを出たのに、那覇空港に降り立つとむう~と甘ったるい南国。

 

空港へお出迎えのはずが…いない。

また?まだ?沖縄タイム?

少しは待って…と。

日にち、時間のズレが大きかったら、一人観光だわ、と考えていたら『ごめ~ん』とAさん。

卒後約30年ぶりなのに、お互い変貌ぶりはなかったよう。

外気は23℃。

一気に夏!

 

国道沿いに米軍基地を見、地元のステーキ屋さんでランチ。

沖縄風?の道、民家を通り、いかにも地元人ばかりの店内へ。

メニューのステーキは250グラムからが定番。

しかも、ベーコンが巻いてあります。

沖縄の味『A1ソース』をかけるよう勧められ、250グラム完食。

近所にあれば、筋トレ後の御用達にする!?

 

クリニックも見せてもらいます。

名古屋と沖縄では、診療時間から始まり、医療スタイルも違うよう。

 

学生時代の話。

卒後、沖縄に戻ってからの話。

離島医療の話。

大学病院での専門科の話。

沖縄の医療事情などなど、大いに盛り上がりました。

学生時代、(勝手に)Aさんを心配していたのは、杞憂。

お互い、卒後約30年経て、それなりの医療人になっていました(やれやれ)。

『ジミー』のお土産が良いと思う、とお勧めのジミー(沖縄&アメリカ的な食料品店)へ。

『小さい頃は、沖縄はアメリカだったんだよ』

そういえば、沖縄返還は1972年だったと、内地人の私は思い出しました。

小さい頃から親しんだと言うアップルパイやクッキーを選んでくれました(やはり、日本だけどアメリカだったのね~)。

 

セントレアに降り立つと、数時間前まで半袖で沖縄にいた自分が不思議に感じます。

こんな沖縄日帰り旅もありです。

 

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