2016.12.27 忘年会

先日、ささやかながら当院の忘年会を行いました。
クリスマス週にも関わらず?全員参加となり、嬉しい限り。

今年は、名古屋城を窓越しに見ながらのお食事。
まずは乾杯。
食事会の後はジムという、意外とストイックな院長ですが、スパークリングワイン1杯くらいはOKでしょう。
いつもながらワイワイと。

忘れないように『今年を振り返って』
それぞれの回想を順番に。

さらに今年は、新しくお題を振って一人ひとり答えてもらう試みもしてみました。
『私のいち押しの食べ物・飲み物』
『私のお勧めのスポット』
一人が話すと、院長およびスタッフが更に尋ねたり、突っ込んだり。
お題を振ることで、全員が話の輪に加わることが出来ました。
意外な回答に『え~』『試してみよ』などなど。

スタッフが頑張ってくれて、はせ川こうクリニックも一年また無事に終えることが出来そうです。
『ここで英気を養ってね~』
『来年もよろしくね~』
今年もみんなに感謝・感謝の一年でした。

一年を振り返ると、あんな症例こんな症例、患者さんの顔がたくさん浮かびます。
今年も多くの患者さんと、出会い、診療し、学ぶことも数多くありました。
大きな成長期(研修医~中堅医までくらいの時期)は過ぎましたが、少しでも医師として成長したい!と思うオバサン院長です。

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2016.11.29 11月の終わりには

11月末は三男の誕生日。
どの母親でもそうなんだと思いますが、生まれた日、その前後のことは非常に強い記憶として定着しています。
前日何をしたとか、当日何を食べたとか…

三男妊娠出産については、当院の歴史(というほど大層ではないのですが)に関係しているので、よりインパクトが強いのです。

開院して間もない2年目、つわりをスタッフにさえ悟られないように、気を付けたこと。
もしや休診に?という不安を持たれないよう、妊娠していることを患者さんや周囲に悟られないよう、太りすぎず、妊婦の恰好をせず…としたこと。
安定期に入り、スタッフに妊娠を告げ、平常通り出産まで、診療を行う旨を伝えたこと。
臨月に入り、白衣の上から気づく患者さん(たいてい年配の女性)に、出産したらすぐ戻って診療再開しますよ、と伝えたこと。

お腹の子供には、どうか予定日に生まれるように声掛け。
そして予定日の2日前、朝食用に魚を焼いていたら陣痛が。
荷物をまとめて産婦人科へ。
幸い早い時間だったので家族全員集合。
陣痛が強まり、分娩室に入って10分で出産。
『猿が滑り台から逆さまに滑ってきたみたいだったね~』とびっくりした長男。

さて、出産後、浮かんだことは『今日は急きょ、休診にするしかない』
スタッフに連絡。
予定日より1週間の予定で依頼していた代診の先生には、少しずらしてもらうよう再依頼。
その手続きが済むと、一気に一人の時間(授乳はありますが)。
夜は病室でレセプトのチェック。
駆け抜けた一日。

クリニックのことが気が気でなく、3日で退院。
1週間後から通常復帰。

夜中の3~4時間ごとの授乳をした後、診療。
診療の合間にも、授乳タイム。
赤ちゃんの患者さんの泣き声にも反応して、おっぱいが出る始末。
乳汁分泌を促すオキシトシン(最近は幸せホルモンとも言われています)分泌全開!
幸い産後の肥立ちもよく、無事に診療継続。

誕生日のケーキにろうそくを灯す度、息子の成長に感謝、あの時の自分を自分で労う院長です。
もっとも今では、ろうそくは自己満足ですが。

若かった~
しかし、2度目はない(出来ない)と確信。

仮に今同じ状況だったら…
とても体がついていきません…
産休、育休の捻出考えます。
って、考えること自体、無謀です。

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2016.11.8 いつまでやる?

医師会の班会がありました。
診診(診療所と診療所)連携を図る意味で、毎年企画されます。

今回、会場までは4キロ。
日課の夜のウオーキング代わりに、歩くことに。
さすがに着替えは持っていけず、ワンピースにスニーカー。
リュックにハンドバッグとパンプス。
てくてく、てくてく。
歩く速度が速すぎたのか、一番乗り。
あの格好を、見られなくてよかった。

定刻通り開会。
医師会長の挨拶と乾杯があり、その後は、一気に和やかなモードへ。
参加者の年齢は、46~77歳まで。
こういう場合、率先して話す人がいて、聞き役の人がいて…
参加女性は3人。
私を含め誰もが、仕事では、むしろ男性よりも話すのでしょうが、こういう状況では、専ら聞き役、相槌役になります。
女医会の時は、会話の内容も話し手も、あっちこっちに飛ぶのですが(全員がおしゃべりする)。

個々の自己紹介は、クリニックの近況報告から趣味まで多彩。
自分は、最近況として、歩いてきたことも報告。

さて、定年がない開業医たち。
『いつまで続けるか?』の話題に。
70オーバーの面々が参加されているということは、70歳なんて目じゃない!てこと。
『いつまでやるかな~?』
『どうしましょうね~?』
最高齢の先生の基準とは…
1.天変地異が起こったら辞める
2.病気をしたら辞める
3.患者さんに必要とされなくなったら辞める
『診療時間を減らしたりしても、患者さんが来院される限り、やりますよ』

医師になって4分の1世紀。
しかし、医師会の先生から見たら、まだまだ若造。
『患者さんから求められる』ことこそ、豊かな老後なのかも。

『顔の見える関係』を構築して、地域医療ますます頑張ります!

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2016.11.1  就学時健診にて

就学時健診シリーズも終了。

毎年個々に健診終了後、視力検査結果と、病気の有無をコメントします。
『視力検査の結果、BとCだったので、もう一度眼科で検査してもらってくださいね』
『ものもらいだと思うので、眼科にかかってくださいね』などなど。

お母さんたちの反応は、
『えっ!マジ?〇(子供の名前)やばいじゃん!』と反応する人もいれば、
『ほんとですか?〇ちゃん、ほんとに見えなかったの?』と子供に問い詰める人も。

毎年このようなリアクションが多いのですが、今年は意外にも『あ、はい。わかりました~』と、多数、淡白なリアクション。
(もっと反応して~。突っ込んでくれていいんだから~)と思いつつ、
『近いうちに、ちゃんと受診してくださいね~』と念押し。

さて、健診では、どこの小学校も、児童がお手伝いをしてくれます。
眼科だと、『やってきた就学児童と保護者を教室内へ連れてきて、用紙を記入してもらい、また廊下まで帰す』という一連の仕事です。
女子ペアは、さすがに要領を得るのが早く、仕事がない時も、静かにおしゃべりをしているくらい。
もう、小学生というより、中学生のお姉さんに近い感じ。
一方、男子ペアは、仕事はしっかりしてくれますが、暇な時は、床を滑ってみたり、じゃんけんをしたり、じゃれあったりと落ち着きません。
よくも、そんなに動くことが出来るものだな~と感心しつつ眺めていると、つい笑みが。

息子たちの小さい頃にそっくり。
じっとしていられず、道をダーッと走って行ったと思えば、また戻ってくる(それなら、始めからゆっくり歩けばいいのに)
かと思うと、下を見て歩くので、ちっとも進まず、虫やゴミみたいなものを見つけると、得意そうに見せる。
暇があれば、静かにしておらず、誰かにちょっかいをかけたり…
家では、まるで動物園のお猿さん。

女の子がいる家は、落ち着いているんだろうな~、楽だろうな~と、思ったことも度々。
そんな息子たちも、大きくなるにつれ、さすがに余計な行動はしないようになってきました。
女性(母)から見たら、まだまだ効率悪いのですが。

男の子って、みんなそうなのよね~
要領悪いし、手間暇かかるけど、そこが可愛くもあるのよね…
子育てもそろそろ卒業…の今、懐かしく思い出しながら、係の男子を眺めていました。

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2016.9.20 光栄です

日本緑内障学会に参加してきました。
眼科と一口に言っても、各分野(例えば緑内障・白内障・角膜など)に分かれており、総合的な学会と各分野ごとの学会が、毎年行われます。

今回は緑内障に特化した学会。
そのため、かなり専門的な最新の知見を学べます。
診断方法も、治療方法(点眼・手術)もどんどん進化しています。
自分の中で、積み重ねがあってこそ、ついていける内容ばかりです。
日頃の不勉強を反省しつつ、この時とばかり集中して勉強。
インプットして、自分の頭の中で整理して、アウトプット。
患者さんに還元することが、医師の使命です。

今回の記念講演は、恩師の山本教授がされました。
緑内障診療の大家である先生の講演の概要は、若き日から今日までの緑内障診療を通して学んできたことを、いくつかのカテゴリーに分け、自験例を示しながらの講演。
講演の中で、取り上げられたスライドに、私の論文データがあり、思わずびっくり。
論文は、製薬会社の資料にも引用されていますが、教授がこのような栄えある講演で使われるとは、思ってもみませんでした。
一門の端くれではありますが、門下生として、身が引き締まる講演でした。
講演後、あいさつに出向くと「あれは、良いスタディだからね」と言ってくださいました。
開業しつつ、大学院に入学して苦しい日々もありましたが、頑張って良かったと思いました。

緑内障専門医にとって…
特に慢性緑内障の経過は長いため、長期間観察しないとわからないことも多い。
『緑内障専門医は、時の経過からも学ぶ』も、ずんと来た内容。

当院での緑内障患者さんとのお付き合いは、一番長い人だと、20年近くなります。
緑内障視野進行グラフをお見せすると、もう10年15年のお付き合いだと、お互いに驚くこともあります。
信頼関係をもって来院していただけることは、本当にありがたいことです。
学会・勉強会での机上の知識だけでなく、長い経過の患者さんからの情報を蓄積することで、経験的知識も構築でき、眼科医として成長させていただいているのだと思います。

特別講演は、医学を離れて、立命館大学の北岡教授の『錯視』(視覚における錯覚)。
色々な錯視の原理やデザインに、脳は騙されるんだな~と納得。
ホテルに戻って『北岡明佳の錯覚ページ』を検索。
『動く錯視の作品集』を開いて、見えるかどうかチャレンジ。

ホテルからの夜景は素晴らしい横浜でしたが、横浜を実感したのはそこまで。
せっかくの横浜まで来たのに…いつもと同じ規則正しい普通の夜でした。

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など 公センセの想い 眼に関すること

2016.9.13  忘れられない人

先日近くのコンビニへ。
レジには、半年ぶりに再会(こちらが勝手に)するお兄さん。
お兄さんは、ずっと夜から早朝の担当。

コンビニで、このお兄さんを見るたびに思い出します。

10年以上前の、夏の朝。
朝食の時に、何かのきっかけで父親からひどく叱られた息子。
素直に謝るどころか、火に油を注ぐような発言。
『もうご飯食べなくていい。この家が嫌なら、出ていけー!』
『出てったるわー!』
売り言葉に買い言葉。
息子はすごい勢いで外へ。
『待ちなさーい』と叫んだ時には、すでに疾走。

どうせすぐに戻ってくるわ…と信じつつ30分経っても帰ってきません。
家の周り、近くの公園などにもいません。
自転車を漕いで『〇ちゃ~ん』『〇ちゃ~ん』
歩いている人を呼び止めては『阪神タイガースの服を着た、坊主頭の子供見ませんでしたか?』

そうこうしているうちに、橋の下に見慣れた子供が。
『上がってきなさーい。帰るよー』
『帰らんわ』
またまたピューと疾走。
狭い道を曲がって見失ってしまいました。

そこらあたりを探すも限界。
仕事の時間は迫ってくるし、疲れ果てて自転車を引いて帰ることに。
最後に、もしや?と入った最寄りのコンビニ。
『阪神タイガースの服を着た、坊主頭の子供、寄りませんでしたか?』
『あそこで、マンガ読んでますよ』
『〇ちゃん!』
『母さん!』
へなへな…となった母。

『もういいから。うちへ帰ろうね』
お兄さんにお礼を言って帰路へ。
『母さんに見つかったあと、家に向かってたの?』
『家には帰れんかったで、コンビニでトイレ借りた。あのお兄さんが、「お母さんが来るまでここにいなさい」って言った』
お兄さんは、小学生の息子の来店に、ただならぬ雰囲気を感じたのでしょう。

何事もなかったように、いつも通り診療ができたのは、安堵と若さゆえ。

お兄さんは、すっかりあの出来事を忘れてしまったでしょうが、母子にとっては『忘れられない人』であり、忘れられない夏の一コマです。

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2016.5.24 あなたの好きなように

学校検診後の『受診のお知らせ』用紙を持って来院される患者さんが増えています。

近視の場合は、程度によって眼鏡を処方するか否か。

処方しない場合は、どのくらいの間隔で経過を見ていくか。

前回の視力検査より急に視力が低下した場合や、患者さんがまだ小さい場合は、検査薬を用いて、調節力(ピント合わせの力)を取り除き正確な程度を測定します。

もう、眼鏡処方をした方が良い場合…

Dr「○○君、黒板の字見える?」

子「何となく見えるけど、見えない時も多い」

Dr「どうする?眼鏡はめたらすっきりするけど、どうしたい?」

○○君、お母さんの顔を見る

母「あなたが決めなさい。あなたのことだから」

子「じゃあ、作る。はめる」

母「いいの~?本当にいいの?」

「眼鏡はめたら、どんどん悪くなりますよね~?」

Dr「そんなことないですよ」

母「眼鏡はめ始めたら、はめっ放しになっちゃいますよね~?」

Dr「近視の程度によりますよ。本人が不自由なら自分から積極的に掛けます」

母「まだ小さいので、壊すかもしれないんですよ~」

Dr「壊すことは滅多にないですよ。フレームのゆがみは、眼鏡屋さんで直してくれますし」

母「こんな小さいうちから、可哀そうじゃないですか?」

Dr「見にくいままの方が可哀そうな気がしますが…」

母「どうする?大丈夫?良く考えてよ」

子(母の顔をじっと見て)「もう少し考える」

母「ということで、もう少し様子見るそうです」

Dr「わかりました。では、もう少し様子見ましょう。掛ける気になったら言ってください。処方箋書きますね」

 

父親が付き添いの場合は、「眼鏡作りましょうか?」「どうする?」「お前が決めろ」「作る」「よし」「まだ作らない」「わかった」で終了する事が多いのですが。

 

「あなたの好きなように…」と言いつつも、その裏には、母親特有の(広く言えば女性特有の)『私の希望に沿って』というニュアンスが感じられる場面が時々あります。

 

自身もそういう常套句を使った身。

子供たちが大きくなった今、反省すること然り。

『相手の意思を尊重するようで、自分の希望を聞いてほしい』そんな女子心に、「女ってめんどくせ~最初から本心を言えよ~」と、吠える息子たちです。

 

ともあれ、眼鏡はそんな悪いものではありません。

生活を良くするツールです。

お母さん、心配しすぎないでくださいね。

 

 

 

カテゴリー:公センセの想い 眼に関すること

2016.5.17 お返事は?

今年も学校検診が始まりました。

 

学校医初めての年、下の息子をクーハン(赤ん坊用のかごバスケット)に入れて同伴したのは懐かしい思い出。

たくさんの小学生を見ながら『こんな風に大きくなるのかな~』、中学生を見ながら『こんな風に逞しくなるのかな~』と思ったことも、今は昔。

今は、検診に行くたび『可愛いな~』『そのうち、うちの息子たちみたいな図体になっちゃうんだろうな~』と愛おしく思います。

 

さて、眼科健診は、眼に病気がないかどうかをチェックすることが目的です。

学校保健上、まぶたや結膜などといった表面的な異常を見つけます。

充血・ろほう・まぶたの異常など。

加えて斜視など眼位の異常など。

いずれも、おかしいか否かをふるい分けるので、診断まではつけません。

もちろん、こちらでは、結膜炎、アレルギー、めんぼ、皮膚炎などの診断の見当はつけていますが。

それゆえ、『受診のお勧め』をもらって、医療機関を受診して初めて診断・治療となります。

毎年、低学年(特に1年生)の用紙回収率はいいのですが、高学年になると放置…という事例も多くなってきます。

『受診のお勧め』をもらったら、タイムリーに受診してください。

 

近年検診で気になることは…

多くの学校では、先生が生徒の名前を呼びます。

ずらりと整列して、名前を呼ばれたら返事をして、医師の前に立つのが、眼科検診の定番スタイル。

「○○さーん」

しーん。でも、前に出る生徒はいます。

「○○さーん」

無言。

「○○さんだよね?」

無言。

「○○さんだよね?」

うなずく。

「お返事は?」

無言。「?」

「名前呼ばれたらお返事しなくっちゃ。誰を検診するのか、わからなくなるからね。お返事は?」

「はい…」

検診開始。

約3分の1の生徒には、この繰り返しです。

なかには、気持ち良いくらい、元気に「はいっ!」と返事をする子もいますが。

『自分の名前を呼ばれたら返事をする』のは、他人に『自分です』と確認をさせるためのはず。

いつから子供は返事をしなくても済む生活になってしまったの?

お手本にしたいのは『笑点』の春風亭昇太さんの返事。

次回の大喜利で見てみてください。

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2016.4.26 引っかかり

倉庫にあった朽ちそうな段ボール箱の中から見つけた中学の卒業文集。

中学時代に一番心に残ったことについての内容。

題名は…『絶体絶命』

以下抜粋。

中1の文化祭の終了時、舞台の後ろに行こうとして、私のセーラー服の裾が、どういうわけか緞帳(どんちょう・客席から舞台を隠す幕)の棒の端に引っかかってしまった。

「外さねば」と考える余裕もなく、緞帳は上がり始めた。

演劇部員が知らずにボタンを押している。

私はステージを見下ろせるように、宙に浮いてきた。

「助けて~。誰か助けて~」と言っても下にいる誰にも気づいてもらえない。

緞帳も最高位で停止したので、真下とその周り少ししか見えなくなってしまった。

みんなが体育館にいるうちに、何が何でも助けてもらわなければならない。

無我夢中で「助けて~」の連呼。

誰かが気づいて先生に知らせてくれた。

「1年生が引っかかっとる」

「えー!?引っかかっとる?」

「緞帳を下ろせ~」

「手を離すな~死んでしまうぞ!」

左手には眼鏡、残る右手と引っかかったセーラー服のみで自分を支える。

セーラー服の裾が破れたらおしまい!

 

徐々に身体が下へ降りて行き、みんなの声が大きくなる。

足が地に着いた。

手はしびれて足はがくがくしたが、それでも私は、安心感で一杯だった。

あの時、小説みたいにうまく助かったが、もし、誰も気づいてくれなかったら、耐えられず手を放してしまっていたら…と思うとゾッとする。

今ではテレ笑いで話せることも、あの時は絶体絶命だったのである。

戦争を知らない私にとっては、あの時ほど無事で良かったと思えたことはない。

 

中学3年生の私が中学1年の私を回顧して書いています。

あれから30年以上人生を歩んできましたが、あの時の自分の幸いなる命に改めて感謝です。

 

それにしても、ドアノブでよく服の袖口を引っかける私。

白衣が引っかかることもあり、弱い生地なら破れることも。

ドアノブを下げて開け、絶妙に袖口に引っかかる方向を向いて進むのだと思いますが。

袖口で済んでいますが、『引っかかり癖』があるようです。

 

 

 

 

 

 

 

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2016.4.19 桜が散る頃には

今年も桜は散ってしまいましたが、桜の散りかけの時期に歩くとおセンチになります。

無心に走る、歩くという人がいますが、きょろきょろ派の院長としては、

きょろきょろしながらも思う人、考える人。

 

桜の散りかけに想うのは、亡くなった患者さん。

とりわけ、長期に渡り来院されていた患者さんや往診で診ていた患者さんには、

思い入れがあります。

 

今年、往診で診ていて逝かれた患者さんはすでに5人。

内科医の要請で往診し、「寒いからどうぞ」と缶コーヒーをもらっての次回往診は

突然の死により中止になったKさん。

肺気腫で起き上がることもえらくて、それでも往診時は頑張って起き上がろうとされていたNさん。

60歳を超える息子さんが全面的に介護していたAさんは、寝たきりにも関わらず

いつも「元気やわ」

「もう少しテレビがみたいから」と、やっと手術を決心した矢先に逝かれたIさん。

入所施設が変わっても10年以上!往診をした視神経萎縮のS子さん。

 

訃報を聞くたびに、「○○だったのにね~○○のこともあったね~」といつも往診に同伴してくれるKスタッフと思い出を語り合います。

眼科医ゆえ、直接死に立ち会っていません。

そのため、思い浮ぶのは穏やかな顔だけです。

過去に亡くなった患者さんのお顔が次々に浮かんできます。

桜の散りゆく下で、想いをめぐらせます。

家族でもなく、親類でもなく、友人でもなく…でも想っている人間がここにいます…

 

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