2025.4.8  ずっと0歳

今年のお正月、一本の電話。

N保育士から。

毎年年賀状のやりとりをしていたのですが、今年は時勢に乗り?年賀状じまいの院長。

『あけましておめでとうございます!年賀状じまいにしたから思い切って電話してみたの!』

懐かしい声。

お互いの健康状態を確認してからおしゃべり。

『会いたいな~って、ずっと思っていたの』

『私も~。絶対会いましょう。思い立ったら吉日。いつにする?』

『こちらは時間あるから、長谷川さんに合わせるよ~』

ってことで、いくつか院長が候補を挙げ、その中で日時お店を決定。

 

第1子産休明けで大学病院復帰の新米ママ(院長・当時は最下位の医局員)。

N保育士は、院内無認可保育園の長男の担任でした。

まだコートの中にスッポリ隠れてしまうくらいの小さな赤ちゃんを預けて働く。

たとえ当直免除でも周囲に気を遣う(今みたいに堂々と権利を主張できない)し、子供のことも気になるし…

元気でやっているのかな?

昼休みにお乳飲ませに行けるかな?

朝微熱あったけれど、仕事中に呼び出されないかな?

などなど。

新米ママは心配が尽きません。

初めての子育てと仕事の両立。

当時の日誌には、毎日息子の健康状態や行動について、また母の質問が書いてあります。

母の相談にも乗ってくれた頼もしいN保育士でした。

 

大学病院のお給料(一番安かった)はそのまま保育料に消えていきます(一番保育料が高かった)。

無認可なので、バザーもあるし、保護者の掃除当番もあります。

仕事も中途半端(な気がする)。

なんのために働くのか?????

悶々とした日々。

 

自分で育てれば保育料は浮くけれど、眼科医のキャリアは中断。

継続持続勤勉が自分の強みだと思う今、中断なく眼科医を続けて来れたのは、保育園のお陰です。

新米ママかつ中途半端女医を励まし、子供の成長を一緒に喜んでくれたのは、保育園の先生たち。

 

実は院内のT保育所に預けていたのは数か月。

当時の医局人事は、大体1~2か月前に発令。

Noという選択肢はなく、医局に属するならYes。

最低在籍期間半年を切っての退園だったので、違約金も発生。

泣きそうになりながら支払いました。

 

半年に満たない在園期間でのN保育士との関りでしたが、年賀状のやり取りは続いていました。

しかし、何十年ぶりの再会にはドキドキします。

 

当日会って食事をすると不思議。

この約30年の空白がなかったようにおしゃべりが弾みます。

当時の同じクラスのAちゃんは今…Bちゃんは今…

そして長男Kも0歳の時の思い出。

N保育士にとっては、もう四捨五入30歳になる子供たちもずっとハイハイしておっぱい飲んでいる姿です。

 

長男の現在の姿は、0歳のキュートなKからは想像できないお兄さん(おじさん?)です。

が、写真を見て『うん、やっぱりここのところが似ている…』

N保育士の心の中で育っていったK。

誰かに想ってもらえているのは嬉しいことです。

 

開業して以来の患者さんはもう立派な成人なのに、初診で来院した小さい時の姿が焼き付いています。

だから何年かぶりかの来院で、成長した姿(目はもちろん!)を見ることは嬉しいものです。

N保育士の気持ちがわかります。

 

眼科医のキャリアだけでなく、人との出会いも保育園に預けたからこそのご褒美です。

働くお母さん、頑張って~

 

『必ず年に1回会いましょう!』

『絶対に会いましょう!』

また新しいお楽しみが増えました。

一緒に出勤&登園

 

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2021.11.30  オバサンのおかげで…

先日、地下鉄で街へ。

途中まで文庫本を読み、スマホに切り替え…

知らぬ間にウトウトしていたようです。

停車駅の駅名表示にハッとして、『あれっ!?もう丸の内?』と、隣に話しかけます。

院長の顔をまじまじと見たのは、眼鏡をかけた60代と思われる年上オバサン。

誰?

当然向こうも、このオバサン(院長)どうしたの?と驚いた顔。

日曜日の夫との外出モードになっていたよう。

『失礼しました!家族と一緒に出掛けていたと勘違いしまして…(そんなことある?)』冷や汗。

『そうでしたか。それより、乗り過ごされなかったですか?』

『名古屋なので大丈夫です』

2駅の間、なぜか話が盛り上がってしまったオバサン同士でした。

年上オバサンは、桑名集合のウオーキングに行くそうで、お勧めのコースを教えてくれました。

楽しいエピソードになったのは、隣がお姉さんオバサンだったおかげ。

もし、隣が○○だったら違う展開が…また妄想で遊べそうですが、失態には注意です。

 

寝過ごした一件で、忘れられないのは、三男のハプニング。

当時小学1年生の三男。

スイミングクラブの送迎バスは、大人で徒歩15分の学区外停留所まで。

しかも、時間は、当院の診療時間開始後です。

1年生になったばかりの子供一人でお迎え場所まで行かせることは、当時、心配で出来ませんでした。

仕事をしているために、送迎バスの停留所まで連れて行って乗せるだけの時間が取れない歯がゆさ。

わずかな隙間時間を助けてほしいと思っているワーキングママは今も多いはずと思います。

 

対応策として、自院の傍の停留所から市バスに乗せることにしました。

送迎バスより早く出ることになりますが、診療前にバス停に一緒に行き、乗車を確認することが出来ます。

乗車時、運転手さんに行き先を告げる

運転手さんのすぐ後ろの席(最前列)に座る

2つの決め事です。

走り去るバスに手を振って、午後の診療に臨む院長でした。

 

ある日の診療中、受付から電話の取次ぎがありました。

出てみると、オバサン(恐らく60代~70代)。

『○○(息子)君のお母さんですか?』

『はい、何か?』

『今○○君に代わりますね』

『○○ちゃん!?どうしたの!?』

『うんとね~新瑞橋まで来ちゃった~』

 

オバサンの話によると…

その日は遠足の日だったので、疲れてバスの中で眠ってしまったそう。

降りるべき停留所はとっくに過ぎて、終点で降りるオバサンに気づかれたという始末。

息子は、思わぬ展開に泣きべそ。

家の電話番号は覚えていなかったけれど、クリニックの名前は言えた息子。

オバサンが公衆電話から当院に電話をかけてくれました。

かくかくしかじか…

『では、折り返しのバスに乗せますね。○○(乗車場所)のバス停で降ろしてもらうよう、さっきの運転手さんに言っておきますね』

『お手数おかけしました。よろしくお願いいたします』

 

ドキドキ…

無事に息子は戻ってきました。

オバサンのおかげ。

母は安堵と自責の念。

 

あの時の出来事は、息子にとっては大事件。

今もしっかり覚えています。

もちろん母もしっかり覚えていてますが、思い出すたびに胸が痛むエピソードです。

『あの時は~』と笑い話にしてくれる息子に、働き続けてきた母は救われます。

今日30日は三男の誕生日。

大人になっても、母にとっては小さいままの息子が心の中にいます。

 

オバサンのおかげで…

そんな日常の一コマに登場する、名もなきオバサンになれたら…と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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