2024.11.26  目の神様in奈良&愛知

始めは偶然知った目の神様も、だんだん、目の神様巡りが旅のテーマのひとつになっています。

患者さんから『目のお寺、好きなんですか?』

と、聞かれることがあります。

好きか嫌いか?と聞かれれば、好きでお参りしているのですが、寺社仏閣に対して『好きです』は何ともミーハーみたいで答えるのに躊躇します。

一眼科医の興味…ですが、信心を持っての参拝客には失礼な答え。

地元のお寺で毎週お経を習い(子供会単位で!)、家でも仏壇に手を合わせお経を読んで育った院長。

医師になるまでは、何事も御仏が助けてくださると信じていましたが、医学(科学)の道を進むうちに何でも祈願祈祷で良くなることはない事実も目の当たりに。

ほとんど無宗教に近い現在でも、それぞれの寺社仏閣にご利益に至るゆかり話に興味はあるし、足を運び参拝することに意義があると出かけています。

 

今回は、奈良・壷阪(つぼさか)寺。

ここは以前『近鉄三昧・阿呆列車』で吉野への通過駅です。

 

せっかくなので法話も聞ける日を選びます。

橿原神宮からの電車は混んでいましたが、飛鳥で多くの人が下車。

壺阪寺下車客は数人。

小さな駅から1時間に1本のバスに乗り込み高取山の中腹へ。

 

壺阪寺は、眼病封じのお寺で、歌舞伎『壺阪霊園記』として有名だそう。

今から300年以上昔、座頭の沢一は条坊お里と暮らしていた。

お里は午前4時になると床を抜け出していた。

もしや、好きな男でも…と問いただすと、この3年壷阪寺の観音様に朝詣でをしていた。

沢一は自分も観音様にお参りを始めたが、盲目ゆえに不遇な暮らしをさせていると思い身を投げた。

それを知ってお里も身を投げてしまう。その夫婦愛に、観音様の霊験で二人は助かり、沢一の目が開眼した。

 

真偽はともかく、エピソードを知ることも『へ~』

 

ここでは、お守りや数珠だけでなく、目薬や目薬の木飴・せんべいなども売っていました。

目薬の成分は確認して、お守りとせんべいをいただきました。

 

また、別の日。

灯台下暗し。

愛知県にも目の神様があることを知る院長。

知多の『めがね弘法』大智院。

眼鏡をかけている弘法大師です。

安政7(1860)年、目の不自由な浅吉翁が身代大師に祈願したところ、目が見えるようになった。

代わりに大師の左眼が傷つき、以来、翁の残した眼鏡をかけられるようになったとのこと。

 

現代は、目の病気があったり目が見えなくても、黒い眼鏡をかけることはなくなりました。

しかし、昔は、黒い眼鏡をかけている事=視覚障害者のイメージでした。

黒い眼鏡と白杖が目の見えない人のイメージとなっていました。

 

黒い眼鏡は遮光の意味と、表から眼の状態を隠すために使われてきました。

 

めがね弘法の眼鏡も眼病(もしくは怪我)を隠すためと思いますが、今の人が見ればサングラスをかけた弘法に見えます。

最近は丸い眼鏡が流行っているので、今風に見えないこともないです(罰当たり)。

 

ちょうど、めがね弘法大祭の日。

眼病平癒・健眼長寿の加持祈祷がされていました。

○○(住所)の○○(名前)の○○(目の病気)と祈祷の声がリズムよく流れてきます。

つい病気・病名で祈祷されている人のことをしばし想像する院長。

ちゃんと眼科もかかっていますよね?!

ここでも目薬・目薬の木のお茶・先見(先がよく見える)飴が売られています。

 

目の神様に『へ~』を見つけに参拝する罰当たり?な院長です。

もちろん患者さんの眼病治癒祈願をしています。

■目の神様シリーズはこちらからご覧ください

目の神様in 鎌倉

目の神様 in平泉

目の神様 in 仙台

やりなおしたい?

初めての御朱印

身代わりどじょう

目の霊山

余呉へGO,GO

鎌倉好き

医者も祈願する!?

 

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2024.11.19   開けてみた!

『頑張った自分へのご褒美として40歳の記念に買いました』

某ファッション雑誌で、石のピアスを付けたメイクアップアーティストを見たのは、院長30代の頃。

『素敵~』

いつかは、いつかは…と思っているうちに、40代はあっという間に過ぎ、気が付くと50代に。

偶然出会った石のピアス。

ちょうど開業25周年。

40歳からはずいぶん経ってしまいましたが、この機会・記念に買わないでどうする?

あいにくピアスの穴を開けていないので、イヤリングに再加工依頼。

 

出来上がったイヤリングは、繊細でとてもきれい。

仕事柄、指輪は出来ないので耳でお洒落を楽しみます。

とある晩、自転車で近くのスーパーまで買い物に。

マスク・眼鏡・帽子で。

自転車を降りて、両耳を触ると(このイヤリングを買って以来、耳たぶ確認!)左耳のイヤリングがありません。

血の気が引きます。

家からスーパーまでは500メートルほど。

買い物どころじゃない、探さなきゃ…

息子たちが、たまたま家に居たので電話。

かくかくしかじか…

それぞれが懐中電灯を持ってスーパーに向かってきます。

私も自転車を止めて探します。

『なかったわ~』と息子たち。

『やはり…』失意のどん底…絶望感…

と、最後に来た息子が、少し手前の街路樹でしゃがみ込み『これ?!』

手に取り『これ!これ、これ!』

見つかりました!

息子たちありがとう!

 

この一件以来、イヤリングは引き出しの中に眠ることに。

 

ある日ふと…

何のために買ったの?

また落とすかも…って、ずっと付けないの?

いつ付けるの?今でしょ!

自身と問答。

ピアス穴を開ける決心をした院長でした。

決心をしたものの、ピアスをしている知人その他にヒアリング。

どこで?痛みは?ケアは?などなど。

 

クリニックで、友人に…開けてもらい方は色々みたいです。

当初は、クリニック(何科でもよい)に行こうかと思っていましたが、息子たちに経験を!と思いついた母。

早速、息子たちに左右それぞれ開けてもらいました。

彼らも初体験。

下の息子はやや躊躇し、先にやった兄に『押すだけ。早く』と急かされる始末。

案ずるより産むが易し。

一瞬のチクッ!

今まで散々自分は保守的だった…と実感した瞬間でした。

 

ファーストピアスを付け、スタッフへ報告(何でも報告する院長)。

ファーストピアスの注意や、セカンドピアスへの移行などなど注意を仰ぎます。

ポスト(ピアスの軸)も最初は気になりましたが、段々慣れてきました。

美容室では『ピアスにしたなら攻めのショートにしましょう』と提案され。

 

ある朝、ベッドの上にピアスが一つ。

寝ている間に、掛布団に引っ掛かって取れたようです。

ベッドの上で良かった。

今度は家中を探さないといけなくなる事態でした。

 

♪どこかで半分失くしたら役には立たないものがある~♪(真珠のピアス 松任谷由実)

………♪そっとベッドの下に片方捨てたAh~真珠のピアス~♪

 

人からもらったものは、その人との縁次第かも。

自分で買った思い入れ(特に頑張りへのご褒美)のものは、簡単に手放せません。

 

イヤリングから再びピアスになって戻ってきました。

当初から、ピアス穴を開ける決心をして、ピアスで買っていたら…

と思わなくはないですが、人生、気付いた・気になった時点での行動は多いもの。

ピアスの穴開けに恐れおののき、今回は、後手に回った院長。

 

手持ちのイヤリングは全てピアス仕様に。

遅まきながら、ピアスのお洒落を楽しみます。

 

 

 

 

 

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2024.11.5  健康だから仕事が出来る

院長は、医師・歯科医師の任意団体の休業補償委員をしています。

気が付けばもう10年以上前から。

どのような経緯で引き受けたのかわかりませんが、必要があれば対応する(イレギュラー)仕事なので…と頼まれたのか…?

休業補償の掛け金を毎月掛口分支払い。

病気やけがで診療が出来なくなった時に、掛口数に応じて休業補償金が出ます。

対象の会員は、所定の書類を書いて、休業補償委員に送ります。

委員は、その会員と電話や面談をして、事実確認や不備の有無を確認、押印して事務局に送ります。

愛知県下・名古屋市下にも何人かの委員がいて、委員会業地周辺の会員からの要請がほとんどです。

 

相手の先生に連絡を取る時は少し勇気がいりますが、お見舞いの言葉と休業補償の確認をすると、何となく相手のこともわかり、まんざらでもない役だと思っています。

 

さて、今年からは、休業補償委員審査会にも出席の依頼が。

事務局に提出された休業補償金申請書類は、月ごとに事務局でまとめられます。

○○先生○○歳

病名

既往歴と現病歴

休業日数など

これらを休業補償委員たちが確認、疑義照会などして、委員長が決裁します。

その後、全国の総審査会に諮ります。

 

今までは、近隣の先生たちの病気やケガでの休業だけだったので、毎月仕事があるわけではありませんでした。

しかし、愛知県中となると…毎月毎月該当者はあります。

健康で仕事できることを意識する場でもあります。

 

65歳以上75歳(加入上限年齢頃)が圧倒的に多い。

脳疾患・心臓疾患・がん・整形疾患な・怪我など。

既往歴のある人もそうでない人も。

医者の不養生では片づけられません。

 

 

数年前、A先生から休業補償申請用紙が郵送で。

A先生の字で一筆箋が添付。

A先生は一回り上でしたが、年に何回か食事をする仲でした。

体調を崩され癌になったと聞いて以来、こちらからも連絡を控えていました。

仕事(休業委員)にかこつけて、電話しようっと。

翌日、携帯電話に電話すると…

『もしもし、A先生?長谷川です、ご無沙汰しています。』

『もしもし、長谷川先生ですよね?』

あれ?男性の声。

『Bです。息子の。母は、昨日亡くなりました。お世話になりました』

何てこと!

小康状態になって、休業補償申請じゃなかったの?

最後の字を見つめ放心の院長でした。

その後Bさんが、保証の手続き(休業・死亡)に来院。

Bさんのことは、高校生の頃から知っています。

『凛としてきれいなお母さんだったわね~』

『やつれた姿を家族以外に見せたくなかったようです』

亡きA先生を偲びます。

そして今でも時にA先生を思い出します。

 

まだまだ死を意識することは無い毎日。

それでも、来る老後(将来)のために、体を鍛え頭を鍛え…日々の感動感激を大事にして、と意識はするようになっています。

 

休業補償委員会が早めに終わったので、いつもは地下鉄を使う区間を歩いてみることに。

名古屋駅に向かう大きな道路を中に入ると小さな路地・路地・路地。

神社にお寺、民家。

そびえるビル群のふもとにこんな場所があるなんて!

ドンドン・ピーヒャラ、ピーヒャラとお囃子の音が聞こえてきます。

からくり人形の乗った山車があちらから、こちらからとやってきます。

塀に貼ってあるポスターには『名駅山車揃え・下町に続く200年の伝統』

郷愁を誘う意外な出会いに寿命が伸びそう。

 

階段を降りると、そこはいつもの都会の地下街。

束の間の異次元ワールド、今日の感動。

明日の仕事への糧。

 

 

 

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2024.10.29 またまた島医療

南の離島医療を見学して以来、南に行ったら北もいつか…と思っていた院長。

北海道の北端の島、利尻島と礼文島。

利尻島には病院が一つ、小さな診療所が二つあります。

礼文島には有床・無床診療所が一つずつ。

国保組合立と北海道立の公立医療機関です。

 

気になれば動いてみる!の院長。

今回も、見知らぬ相手(病院・診療所)に見学依頼の電話とメールを送ります。

就労に興味もしくは希望のある若手医師ならいざ知らず、年季の入った開業医が何故?と思われるのは承知の上。

自分の思いを伝えます。

 

利尻・礼文島行き決行。

 

院長は、学生時代に利尻島と礼文島に行っています。

当時全国大学生協が企画した北海道一周ツアー。

札幌発着10日間で、バス・フェリーと宿泊食事代全て込みで10万円だったような。

全国からの大学生と相席・相部屋で各地を回りました。

 

さて今回は、人生もう一度の利尻島と礼文島。

礼文島の診療所は、有床の割と大きい診療所です。

3代目の所長となるM先生は、お父上も2代目診療所長で僻地医療に尽力されてきた先生です。

一時は一緒に働いておられましたが、お父上は引退され、今はM先生(息子)が切り盛りされています。

地元で育って地元の医療を守る…理想的です。

しかも、現代風に自身の研鑽で島外に出るときは、代わりの医師が来るシステムを確立されています。

 

礼文島の澄海(スカイ)岬は、中島みゆきの‘銀の龍の背に乗って‘のPVが撮影された場所とのこと。

‘Dr.コトー診療所‘の主題歌。

最西端・与那国島のDr.コトー診療所ロケ地と最北端・礼文島スカイ岬でのPV。

どちらの地にも立った自分。

不思議な感覚。

 

利尻島は病院なので、常勤医が4名います。

うち一人は島の国保の診療所に出向しています。

常勤医師は、利尻島と縁もなく、それでも何かのきっかけで来島、離島医療を担っています。

事務長も島とはゆかりのないひとで、札幌から単身赴任です。

公立病院経営強化プラン白書を見せてもらいました。

元SEだけあって分析がきちんとされており、大変分かり易い資料でした。

 

島の著しい少子高齢化により、病院の経営も深刻になります。

外来患者の増加はあまり期待できないとのこと。

入院機能があることにより、一般急性期~回復期~慢性期~終末期と幅広い対応をしていかないといけません。

医師の確保(医師の働き方改革に乗っ取った)や看護師の確保(島外からの派遣が多い)。

事務長の立場からすると、税金の補填があると言っても、僻地・離島の医療は経営上も難題がたくさんあります。

 

眼科は、稚内から月に1度。

与那国島と同様全て予約制です。

休日診療所程度の装備しかなく、視野計もOCTもあればいいのに…と思いますが、患者さんの数を考えれば導入できません。

 

離島は与那国島もそうでしたが、島外へ出るには交通費などの補助があります。

利尻島から一番近い稚内へフェリーで1時間40分。

札幌には飛行機で50分。

 

それでも緊急時は、ドクターヘリ・防災ヘリ・自衛隊ヘリで搬送。

手続きに時間がかかるそうですが、その遅れについて患者さんからのクレームはないとのこと。

離島での医療は、患者さんの覚悟も必要です。

 

最北と最南の島の医療を垣間見て…

院長は、今直接行動は出来ないけれど、自分で行って・見て・知って良かった!

いつかは、離島にお手伝いに行けることがあるかな…

 

食堂の旬(夏)のうに丼は1万円!

う~ん、1,300円の海藻ラーメンを選んだ院長です。

 

こちらもご覧ください

2022.12.6 リアルDr.コトー  その1

2022.12.13 リアルDr.コトー  その2

2022.12.20 リアルDr.コトー  その3

2023.4.25  八重山にとって…

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2024.9.24  大家好(こんにちは)!  その4

夜遅くトルファンで待っていたのは、いわゆる中国人顔でないガイドさん。

これからウイグル族のお家で夕食です。

ここからのガイドCさんもウイグル族です。

 

新疆(しんきょう)ウイグル自治区は中国の最西端、中央アジアに隣接しています。

省・自治区でも最大の面積を持ち、地下資源が豊富、また農作物にも恵まれています。

近年は漢族(いわゆる中国人)が入植し増加(42%)していますが、元々のウイグル族が45%、他50以上の少数民族から成り立ちます。

個々の民族が自分たちの文化を持ち、融合もしなければならない時代背景あり。

 

訪問したのは、郊外の農村です。

ウイグル族はイスラム教徒なので、豚肉料理は無し。

ナンというパン(インドのとは違う、乾いたピザクラフトみたいな)。

麺やスープの味付けは、エキゾチック。

テーブルクロスやカーテンも食器もウイグル特有の模様。

さっきまで日本語(私たち向けに)と中国語(先生向けに)に話していたCさんも、家人たちとウイグル語で会話。

 

トルファンは夏は40℃以下なら涼しい(最高49℃!)そう。

農村部ではベランダにベッドが置いてあります(夜寝る)。

滞在した日は最低24℃・最高41℃日差大。

1月の平均気温は最低-13℃・最高-2℃。

年間平均降水量は16mm!

完全な砂漠気候です。

 

世界遺産の高昌古城などの見学に、砂漠の中を走っていきます。

中国の観光は、国土が広いため、市中からチケット売り場まで200キロ、そこから専用バスに乗り換え40分なんてこともあります。

 

面白かったのは、火炎山の砂卵。

注文すると、店番の子供が傍らの砂山に埋めてある卵を手渡してくれます。

砂の地熱でいい塩梅に火が通っています。

砂山に埋めた卵を売るだけですが、観光客相手に、この一家の大事な商いです。

 

バスでウルムチに入る時に、全員一度降りて検問。

最後の訪問地です。

モスク(イスラム教の礼拝堂)があちこちに見えます。

もちろん漢字とウイグル文字(アラビア文字ではない)の併記。

 

ウイグル族はイスラム教徒です。

敦煌でのバス運転手さんは、中国人でしたがイスラム教信者の回(かい)族でした。

また、民族により多数の宗教があり、大陸の交流・侵攻により宗教も文化も大きく流動する様を感じました。

ウルムチは近代的なビルが立ち並び地下鉄もある350万人都市。

街の中心のバザールでは、どこの国に来たのかと思うほど。

ドライフルーツや漢方・パン(ナン)・果物や日用品・洋服などなど。

人を観察すると、カザフやキルギス系・モンゴル系・インド系・トルコ系・ロシア系と思われる顔立ちの面々。

民族衣装を着た人もたくさんいます。

 

 

日本の単民族国家で生活してきた院長にとっては、とても新鮮な驚きでした。

同じ仲間とは自分たちの言葉で。

私たちや中国人とは中国語で話します。

私『いくらですか?』

『○○元(数字の聞き取りが弱いことを猛省)』

すかさずお助け隊が入ってくれます(先輩たちも会話したい)。

私『高すぎる、安くして』(とりあえず言ってみる)

『○○(数字が出ると、まだすぐに日本語変換できない)』

お助け隊で解決しない時はA先生がヘルプです。

 

たくさんの刺激を受けた研修旅行。

いくつになっても興奮!わくわく!

話しかける度胸はあっても、お助け隊のお世話になること多々。

話して…?、聞いて…?だらけでしたが、たくさん課題も見えてきました。

もっと出来るようになりたい!

加油(頑張れ)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024.9.10  大家家(こんにちは)!  その3

敦煌最終日は、中国3大夜市の敦煌夜市に行きました。

日没は8時半くらいなので、人々は昼間休憩してから、また活動を始めます。

深夜を過ぎても賑わっています。

色々珍しいものがあり、ついふらふらと店に寄って行ってしまいます。

焼いた羊の頭・駱駝(ラクダ)の乳などなど。

『水晶眼鏡』も気になりました。

水晶のサングラスです。

この眼鏡だと猛暑でも涼しいとのこと。

すごく気になったのですが、『チャングウチャン、行くよ~』

先輩方は、あまり立ち止まりません。

こども(院長)が気になるとあちこち行ってしまうのを抑えてくれています。

謝謝。

 

旅行中、昼食・夕食はすべて中国料理のコースでした。

円卓を囲んで座ります。

ビールは冷えていましたが(ガイドさんの気配り)、コップは冷えていません。

お代わりの瓶ビールはぬるめです。

中国人は、冷たいもの(キンキン)を好まないそうです。

電解水や水・ジュースは冷えたものがありますが、常温~温かいお茶が好みのよう。

 

前菜・湯(スープ)・主菜何品か・主食・点心(デザート)

スープは具沢山です。

鶏肉・豚肉・牛肉・羊肉の炒め・煮込みなど…多種多彩。

魚は、川魚(30センチ以上)の活魚の蒸し焼き料理が出ました。

青菜だけでも2・3種類味を変えて出てきます。

主食は、米飯・麺(麺は色々な味付け)

デザートは、ほぼ西瓜と瓜。

時々、白きくらげのシロップ漬け。

A先生の大好物なので講釈(店による違い)も。

日本の中華料理よりもあっさりしているものが多く、肉魚に加え野菜も多く、医食同源を実感します。

ちっとも飽きない、日本にはないけれど馴染みやすいお料理ばかりでした。

 

食事の際は、原則、A先生は中国語で話します。

まずは中国語での自己紹介から。

『初めまして。私は長谷川公です。昨年から中国語の勉強を始めました。先生と勉強するのが楽しいです。でも、まだ上手く話せません。

趣味は、旅行と読書と筋トレです。よろしくお願いします』

 

名前紹介時『こういう漢字の○○です』を付けると良いらしい。

先輩たちは、もっと自己紹介が長いので、何回かに分けることになりました。

 

先生の中国語は、現地の中国人よりは分かり易い(分かり易く話してくれる)けれど、院長の能力では限界があります。

みんなの会話は聞こえるのに付いていけません。

大人の食事会に子供が付いて行ったよう。

食後『さっき、何の話でした?』と度々聞く羽目の院長。

最年少=中国語能力最低を再度自覚(やれやれ)。

 

中国では、入国から始まり、観光場所・鉄道・高速道路の検問所などなど毎回パスポートの提示が求められました。

個人への監視・管理は徹底しているよう。

悪いことはしてなくても緊張します。

 

トルファンへは鉄道で。

この検問がまた厳しくて、空港の保安検査場以上。

余裕をもって駅に入ります。

何もすることがない待合室。

しかも列車は1時間に1本。

することがないので、一人で便利店(コンビニ・キオスク)で、細々とした煮卵やソーセージ・お菓子を買いました。

中国は、駅や列車・空港などに給湯所があります。

硬水なので、多くはマイ水筒を持参(茶葉を入れて)。

 

約4時間かけてトルファン駅に着いたのは夜10時前。

駅を出た途端、何かが違います。

 

看板の文字が漢字だけでない!

空港では、英語表記があり、対比すると理解できました。

ここではアラビア文字らしき横文字が…

 

中国のアナザーワールドの旅が始まります。

 

 

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2024.9.3 大家好(こんにちは)!その2

敦煌はかつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市です。

敦煌と言えば、日本では1988年に公開された映画『敦煌』(井上靖原作)で火が付き、当時多くの日本人が訪れたそうです。

院長は見ないまま終わってしまっていました。

 

世界遺産の莫高窟(ばっこうくつ)はとても有名。

その他、月牙泉や鳴沙山、玉門関・陽関遺跡など。

敦煌博物館も。

数日に分けて現地ガイドのBさんに説明を受けました。

莫高窟では、さらに専門の研究員のガイドさんから説明。

2人とも日本語がとても流暢で、しかも歴史にも造形物にも詳しい。

そしてどんな質問にも日本語で答えてくれます。

 

16万人の都市なのに、観光客は1日20,000人!

ほとんど中国人です。

日本人の人気観光地ブームは去ったようです。

(以後も旅程中、日本人に遭遇せず。)

 

遺跡・遺産にすごい!しか言えない浅学の院長。

(メモは取ったけど)

 

敦煌での一番は駱駝(ラクダ)に乗ったこと(子供みたい)!

砂漠の山、鳴沙山には、飼い馴らした駱駝が3,000頭程。

その多さにびっくり!

みんなおとなしく座っています(ずっと同じ姿勢)。

落馬ならぬ落駱駝事故が頭をよぎりましたが、年長さんメンバー全員騎乗と言うことで、それなら最年少院長はまず大丈夫と確信。

アジアはフタコブ駱駝なので、コブとコブの間に乗ります。

立つときはまず前足から。

一瞬後ろにのけぞります(駱駝がしゃがむときは、前足からなので前のめりになります)。

ここで落駱駝しなければ大丈夫、駱駝はゆっくり優しく歩いてくれます。

駱駝引きが5頭を携えて、砂山を歩いてくれます。

遠い昔の人は、こうして(たくさん荷物も持って)シルクロードを行き来したのだな~

月の砂漠を~♪どころか想像を絶する過酷な旅だったはず。

途中で止まって写真撮影。

『ポーズを付けて!』とか言って、個々の写真を撮ってくれます。

終わるとチップを請求されます。

どの観光地でも、中国人は老若男女、写真撮影の時は手を広げたり、飛んだり、衣装を着たり…をよく見ました。

(院長より年上のA先生も、ジャンプした写真を撮ってもらっていた)

 

今、中国人に人気のあるツアーは、砂漠を1日25キロくらい歩いてフルセットの移動キャンプに泊る2泊3日のツアー。

都会の心の乾いた中国人が、乾いた砂漠を、家族や友人・仕事仲間と歩き語り合うことで結びつきの強化や再構築が出来るオアシスセラピーも兼ねているそう。

 

砂漠の暑さは相当。

連日昼間は40度近くで紫外線も強い。

長袖長ズボン帽子にサングラス。

砂嵐のためのマスクも欠かせません。

天気予報には『砂嵐』予報もあり、砂嵐になると前方が見えません。

 

皮膚からの蒸発が多いので、尿量は減ります。

ミネラルウオーター(中国は硬水)を入れても胃から吸収されなくなってきました。

念のためにと日本から持ってきたポ〇リが有り難かったこと!

胃から吸収されていく実感があります。

 

中国でも同様のドリンクが欲しい。

ポ○リは見当たりません。

スポーツドリンクってどう言うの?

『スポーツした後の飲み物ありますか?』

 

なんだっけ…と焦り、飲料・走る&汗(ジェスチャー)をしてしまった院長。

早口で尋ねられるほどに???

お店の人は、違うものを出してきました。

焦るな、私。

助けもあり、やっとスポーツドリンクを手にしました。

『電解水』

なるほど~。

新しい単語1個覚えました。

 

 

 

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2024.8.27   大家好(こんにちは)! 

台湾から帰国後、早速中国語の先生を探し始めた院長。

2023.6.20  何しに台湾 その1    2023.6.27  何しに台湾 その2

日本在住25年の中国人A講師に巡り合いました。

A先生は大学で教鞭を取りながら、私塾も運営されています。

 

個人レッスンを快諾。

中国語学習が始まりました。

院長の教材は、第2外国語選択の大学生たちと同じテキスト。

教科書を読み、理解し、問題に答えるが基本。

テキストは毎日音読(老化予防になる)し、課題も先生に確認してもらいます。

この発音は良い、これはいけない…と指摘され、『再度再度…』の繰り返し。

なんで私、中国語始めちゃった?と自問することも。

 

それでも、『大学生より頑張っています』と褒められ、『毎日中国語』の日々。

自分の教養時代を省みても、授業は単位を取るだけのものだった(今、非常に反省)から、その頃よりは相当真面目です。

ただ加齢ゆえ、記憶力の顕著な低下を実感。

丸暗記が出来なくなっています(意味づけがないと覚えられない)。

毎日何ページもの英単語のテストをクリアできた高校生の頃の自分が羨ましい…

 

最近は、診察での言葉かけを中国語でも出来るように…と、原稿?を院長が作り、先生が中国語版にし、付いて読む練習も。

『ここに顎を載せてください』

『眼圧を測ります』

『眼底(眼の奥)を見ます』などなど。

日本語バージョンはお手の物ですが、A先生には初めての医学用語(日中とも)。

眼圧=目の硬さと言うと、『目は柔らかいのに硬いことがあるのか?』と驚かれ、一般人の感覚を新鮮に感じることも。

院長は目の模型で説明(日本語オンリーでしか無理です)。

今度は先生わくわく『初めて知りましたね』

 

指導は厳しいですが、経歴も生き方も非常にリスペクト出来る先生。

先生の期待に応えるべく頑張って勉強する毎日。

 

ある日のレッスン後、『語学研修に中国行きませんか?』のお誘いが。

私塾の生徒有志と共に、毎年中国へ研修旅行に行っていたそう。

今回は、新型コロナ以降初の催行。

通常のクリニックのお盆休みを越えてる…

『仕事があるから無理です』

と断ったものの…(前回に理由は明記 2024.8.6   YaYa(あの夏の日を忘れない))、

チャンスは今!ということで、研修旅行に参加することに。

 

当日空港に集合してびっくり。

院長最年少です。

残り8人は前期高齢者の面々。

しかし、中国語学習歴は10年以上に及び、仕事で中国に行った・大学で中国語を専攻した…など強者ぞろい。

院長最年少にして、中国語力も最低です。

 

参加者の多くは顔見知りで『ガオダオ』とか『シャンティアン』とか呼び合っています。

何?ニックネーム?

『長谷川さんはチャングゥチュアンだね』

みなさん、お互い中国語読みで呼び合っていたのでした。

高島・山田…なるほど。

 

今回の行き先は、敦煌・トルファン・ウルムチ。

過去最遠、みんなのリクエストで企画。

いきなりのシルクロード!

 

中国ビザは非常に厳しく、ほぼ丸裸にされた気分。

上海から入国です。

指紋押取(初めて!)必要で、入国検査も厳しく、生徒(日本人)のスーツケースは既に出揃っていました。

やれやれ。

さらにバスで約1時間移動し、国内線空港から敦煌に到着したのは深夜。

 

翌朝のホテルの朝食。

早速色々試してみます。

教科書で習った各地の朝食を思い出し…

豆乳に揚げパン(北方)

ワンタン(南方)

お粥・焼売・蒸餃子など(広州)

他にも多種多彩のお料理が。

 

表記と料理の内容とを比べながら、『へ~』の連発。

 

『チャングゥチュアン、集合時間だよ』

以後、先輩方に引っ張られ、助けられの旅が始まります。

 

 

 

 

 

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2024.6.25  ツバメもお疲れ?

低空飛行でツバメが飛んできた…

すぐにラベンダーの細い枝に掴まって静止。

じっと動きません。

1メートルほど近づいていくと、目を閉じています。

こんな近くで見られるのは珍しい。

部屋からスマホを持って戻ってみるとまだ目をつむっています。

50センチ近づいても変化がないので写真をパチリ。

さらに30センチまで近づいてもピクリともしません。

風で枝が揺られても気持ちよさそうに目を閉じて、揺れに体を任せています。

観察するところ、まだ尾羽が短く、側面にも産毛のようなものが残っています。

飛び始めたばかりの子ツバメのようです。

ちっとも目を覚まさないので、こちらもその寝顔をじっと見ていること10分余り。

変化ないので場を離れます。

そうはいっても5分ごとに見に行く始末。

30分を過ぎた後、いなくなっていました。

疲労回復したのでしょう。

掴まった枝で眠ってしまう程、社会生活は子ツバメにとって相当のストレスのよう。

 

我が家には、20年以上毎年ツバメが飛来。

この季節、ツバメのためのお掃除オバサンに徹する院長です。

3つの巣が、全部埋まる年もあれば、カラスなどに襲撃され破壊される時も。

巣の下に卵の殻を見つけると、それからは、掃除の量が一気に増えます。

親ツバメが戻ってくると、一斉に口を開き、餌をもらいます。

食欲旺盛ということは排出物も多いということ。

本能的なのか、お尻を巣の外に向けて糞をします。

その量、恐るべし。

時に、赤ちゃんが落ちてしまうこともあり、多くは助かりません。

昨年のように息子が育てて成鳥になれることもありますが。

 

ツバメは福を運んで来ると言うし、子育ても終了した院長としては、毎年のお掃除オバサンも(ツバメ)子育て協力の一環と思える余裕も出てきました。

 

口をパクパクしている雛を見上げながら、小さい頃の息子たちに重ねる母。

ラベンダーの小枝ですやすや眠る子ツバメを見ながら、新米社会人の息子たちに重ねる母。

 

先日コロナ以来の旧友に会いました。

彼女とは、大学受験の塾で知り合った仲。

田舎なので、文系理系難関大学と医学部は混合クラスでした。

彼女は文系大学を出て、専門職。

約5年ぶりに会ったKちゃん。

『非常勤にして仕事半分に減らしたの』

『どうして?』

『駄菓子屋さん始めた。前からやりたかったから』

彼女の話を聞くと、また違う世界を知ってわくわく。

売り上げ心配しますが…

『まずは駄菓子屋さん。これが最終ステージじゃないけどね』

カッコイイ!

 

お互い子供も社会人になり、まだまだ自分の目標に向かって行動できることを再確認。

 

ツバメの成長を見、息子たちの社会人としての成長(話)を聞き、安堵。

でも、オバサン(母)だってまだまだ成長(ゆっくりだけど)する!

息子たちよ、これからは母の成長を見守ってね~

母の日もスルーだった息子たちへのリクエストです。

 

こちらもご覧ください

2017.5.23 母の日に

2015.5.12 母の日ツン

2012.5.15  母の日に愛をもらう

 

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2024.6.18  目薬の温泉

『え~!?』

思わず声を上げたのは、目の温泉・眼病に直接効く温泉を見つけたから。

目の神様を拝むべく、全国を行脚中?の院長ですが、温泉があるとは!

 

鎌倉時代より700年の歴史。

目の温泉として伝わる神秘の源泉。

 

上杉謙信好公の隠れ湯として。

江戸時代からは『目の温泉』として遠路より数多き人々が訪れる地。

 

白内障・眼底出血・ドライアイ・眼精疲労などなどに効能があるそう。

 

上信越高原国立公園に位置する貝掛温泉です。

 

見つけたからには、眼科医としては(?)行くしかない!?

 

新潟県の越後湯沢が最寄り駅です。

といっても、ここからが遠い。

バスは1~2時間に1本しかありません(しかも国道沿いにバス停)。

タクシーでぐんぐん山道を上り、国道を外れると、車一台やっとの道に入り温泉に着きます。

 

いかにも秘湯というたたずまい(日本秘湯を守る会)。

建物も古めかしく、しかし清掃が行き届いています。

 

 

お風呂場に行く長い廊下を歩いて行くと…

著名人の色紙。

ゲゲゲの鬼太郎がお風呂に浸かっているフィギュア。

お薬師様の祭壇。

そして、某老舗眼科病院の3代前院長寄贈の眼球断面図も。

シュレム氏管とかチン氏体とかの表記も。

眼球の構造や機能の詳細は、この30年くらいで大きく進歩し解明されてきました。

が、既に遥か昔(院長生まれていない時代)に、専門用語があったことを知ると、先達たちへの畏敬の念に打たれます。

 

気分が高まったところで?入湯です。

 

『正しい目の洗い方

1.手で湯をすくい、目を大きく開き、湯に浸します

2.少し慣れたところで、まぶたを閉じて開いて繰り返し、約1~2分がおススメ』

 

湯口から温泉が出ています。

そのお湯をすくって目を洗うと効能があるらしいのですが…

 

眼科医の院長、目は洗わず、静かに温泉を楽しみました。

他にも、神経痛・腰痛・冷え性・五十肩・病後回復に効能があるそうなので(院長該当しないが)、精神の安寧には効果がありました。

木々に囲まれた静寂な温泉に浸かって『幸せ~』

 

昔(院長生まれる前)は、抗生物質の点眼がなかったため、眼科医でさえ結膜炎の場合、ホウ酸水で目を洗うしか治療がありませんでした。

無色透明で無臭の貝掛の湯はメタホウ酸を多く含み、目薬の湯そのもの。

50年以上前でさえ、目を洗うことが治療とされていたなら、江戸時代はなお、目の温泉の効能は絶大だったと思われます。

 

湯上りに、売店を覗くと

『目薬はないの?』と別のお客さん。

『以前は売ってたんですけどね~今は取り扱ってないです』

院長も気になっていました。

明治時代には、販売許可を得て目薬を販売していたそうです。

ホウ酸で洗う(もしくは点す)ことが、唯一眼病治療だったことが偲ばれます。

 

現在では、多種の抗生物質点眼を処方することが出来ます。

点眼回数だけ守れば、洗眼しなくても治ります。

 

また、目を水(湯)で洗うことは、涙液層のバランスが崩れるので、良くないということもわかりました。

眼科医も、『プールの後は水道水でよく目を洗いましょう』から『人口涙液を数滴さす方がよい』『洗眼をまめにすることは良くない』などと言うようになりました。

涙の成分もわかってきたので、水ではなく、涙と同成分の人口涙液を勧めています。

 

目の温泉に入りながら、変わらないもの(温質)と変わるもの(眼病治癒)を考えます。

眼科医になってからのわずか30年余でも、眼科学は大いに進歩変化。

でもご利益を求め入湯する気持ちは変わりません。

感謝。

 

こちらもご覧ください

2022.10.25 目の日に目洗い

 

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