2017.12.19 思い出した忘年会
今年最後のエンタメは、昨年同様『落語』
『林家木久扇・林家木久蔵親子会』を聞いてきました。
開場を待って入ると、ホール入り口にお爺さんが。
その横には、オジサンと背の高いお兄さん。
近づいてみると、『木久蔵ラーメン』を販売している木久扇さん、木久蔵さん、弟子の木りんさん(192センチ!)でした。
もちろんラーメンお買い上げ。
木久扇師匠と握手しまくり。
出だしからラッキー!
落語は、それぞれ個性があって、面白かったです。
『出来るだけ笑点追っかけ、木久扇追っかけ』ファンとしては、師匠の話は、漫談に近く『聞いたことのある話』ばかりでしたが、何度聞いても『アハハ!』となり、魅力的でした。
さて、今回は、俗曲師(ぞっきょくし)の桧山うめ吉(女性)さんが登場。
俗曲とは、大衆的な短い三味線での小唄、端歌などをさすそうです。
小唄と踊りを披露。
踊りを見ているうちに、『そういえば、日本舞踊もどきを踊ったことがあったわ~』と思い出しました。
時を遡ること20数年、郡上八幡の病院に赴任した年(独身です)。
『忘年会では、何かしらの芸を披露せねばならない』という、当時だから許された不文律?(今ならパワハラ?)がありました。
地元文化人の酒席で、その話をしたところ
『K姐さんに、踊りを習ったら?』
K姐さんは、すでに70歳を超えている元芸妓。
『忘年会までの1か月で、とりあえず日本舞踊を踊れるようにしたい』と、無理な頼み込みに『仕方ないな~』と言いつつ、承諾してもらいました。
毎日、病院の診療が終わると、姐さん宅へ。
踊りなんて、ピンクレディの振付か、フォークダンスくらい。
初めての日本舞踊は、センスのなさもあるのか、戸惑うばかり。
形が出来たと思ったら、足の運び方、手の使い方など、注意されることは無限。
病院行事を恨みそうに…
しかし、忘年会当日、何とかお披露目を果たせ、肩の荷が下りました。
報告に行くと、『もう少し、練習する時間があったらね~』と言いつつも、喜んでくれました。
そして『こう先生が、最後のお弟子さんだから、持ってってちょうだい』と、毛皮のショールを手渡されました。
それから、1年もしないうちに、姐さんは亡くなられました。
お稽古をしてもらっていた時には、すでに病魔に侵されていたと、後から聞きました。
ショールは、形見となりました。
20年以上前の亡き人を思い出すことが出来た、落語会でした。