2025.12.2 住めば都(宮古)
縁あって県立宮古病院へ視察に行ってきました。
宮古市は全国に2市ありますが、宮古島ではなく岩手県三陸沖の宮古です。
今回は、僻地医療と東日本大震災の被害状況について。
岩手県へは何度か行ったことがありますが、三陸は初めて。
いわて花巻空港から盛岡までバスで45分約36キロ、そこから特急バスで1時間40分75キロ。
待ち時間もあるのでもう少し余分にかかります。
宮古駅からはタクシーです(バスの本数が少ない)。
かなり距離があり、また山のほうへ上っていくので『震災で建て直したのですか?』と尋ねると、『もう30年以上前からここです。だから病院は津波には全然問題なかったですね』
院長室で院長先生と初対面。
電話越しの柔らかな対応通りの先生です。
早速宮古病院の現状と課題を聞きます。
岩手県の2次医療圏は5つありそのうち三陸沿岸の中核は宮古病院です。
宮古市は神奈川県(よりやや大きい)に匹敵する面積2670㎢で人口は76,400人強。
(ちなみに名古屋市緑区の面積は37.91㎢人口は248,000人強)
2次医療圏とは、入院治療を含む一般的な医療ができる圏域です。
しかし医師不足は否めず、医師偏在指標も下位にあります。
高齢化率は41.9%、人口は減少。
そのため救急搬送も増加しており、ほとんど受け入れの体制です。
初期臨床研修医も少なく、短期間でも地域医療を学びに来る他病院からの研修医のマンパワーも有難いとのこと。
事実、宮古病院で勤務する若い医師の多くは、地域枠合格(ある年数僻地で働く代わりに授業料免除などがある)とのこと。
自身が研修医の頃は医局制度が存在し、大きな影響力があったことは否めません。
しかし大学医局が、多くの地方の病院を傘下に持ち、地域医療が回っていたともいえます。
赴任先は医局の意向のみでしたが、幸い自身は何処も思い入れがある赴任先となりました(働けば都・住めば都)。
新臨床制度になり、学生が好きに研修先や勤務先を選べるようになったことは、僻地医療の崩壊を意味します。
宮古病院にも医局からの医師派遣が難しくなっています。
副院長先生は東日本大震災以前から勤務とのことで、当時の話を伺いました。
宮古病院は高台にあるため(平成4低地の駅近くから移転)、直接津波被害はなかったそうです。
しかし沿岸沿いの津波による被害は大きく、亡くなった患者さんを確認する仕事、透析装置の維持・救急患者の受け入れなど、自分の家族の安否を確認する暇もなかったそうです。
病院職員が避難所を回って家族の安否を確かめてくれたとのこと。
診療所のある田老(たろう)地区では特に甚大な被害を受け、今は災害資料伝承館があります。
映像でしか知らない世界のまさにその時、宮古の人はここにいた!
たくさん勉強した後は、お勧めのお寿司屋さんへ。
地元の新鮮なネタはもちろん、芸術的なお寿司に感激。
東京での出店を打診されたことも何度かあると聞けばなるほど。
『宮古で育ったからね、ここで最後まで恩返ししたいのさ。宮古に来てうちだけじゃなく地元でお金落としてくれる方がいいの。宮古にお客さん来てくれる方が嬉しいのさ』
カウンターでお寿司を握りながら地元の話を聞きます。
何故か貸し切り状態。
『熊が出るからみんな出なくなっちゃたのさ』
そういえばその日も拡声器で、○○で熊出没と流れていました。
住めば都(宮古)。
住むには難しいですが、宮古再訪はやりたいことリストに入れます。
今度は山田線(盛岡・宮古間、今回は一部区間運休)で!
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