2月5日 「瞽女」心打たれ唄い継ぐ

かつて、盲目の女性旅芸人が三味線を片手に全国を唄い歩く「瞽女」の文化があった。

担い手は減り続け、最後の一人とされる小林ハルさんが亡くなって20年。

独特の文化を受け継ごうと、やはり全盲の広沢里枝子さんが各地で唄を披露している。

「瞽女」が活躍したのは、福祉制度が十分に確立していない時代。

「瞽女」は目の見える「手引き」の女性によって2、3人で娯楽の少ない農村漁村を巡り唄(長い歌で30分以上あり発生も独特)を披露して金や米といった生活の糧得た。

女性の視覚障害者が自立するには限られた選択肢しかなく想像できないくらい過酷だった。

ただ、今も社会に出るのは簡単なことではなく、広沢さん自身も目が見えないことを理由に就職を断られたり女性の障害者は重複の差別を受け、抑圧や不条理は今もある。

それでも、社会全体や当事者、みんなで少しずつ切り開いて楽しい唄はとことん楽しく、悲しい唄はとことん悲しく。生きるために受け継いだ唄を通して「瞽女」の生き方を伝えられたと前を向く。

(中日新聞 2025年2月3日)

1月27日 見えない私から感謝の手料理を

60歳の時に全盲になった豊明市在住の村瀬典世さん(79)が、「ブラインドクッキング」と名付けた料理会を自宅で開いている。自身で米を炊き、包丁を使って巧みに作る手料理は好評で、目が見えなくなっても前向きに生きる村瀬さんの姿に、周囲は明るく励まされている。

村瀬さんは会社員だった60歳の時に眼底出血などにより全盲になった。「自暴自棄になって引きこもった。家族にいら立ちをぶつけてしまっていた」と振り返る。2年ほど経った後、見かねた知人に「そんなことではダメだ。周囲に感謝して明るく生きなくては」と諭された。

「後ろ向きでいても仕方ない。できることは自分しなくては」と気持ちを入れ替え、ブラインドゴルフに挑戦し、携帯電話やパソコンの音声で知らせてくれるソフトを使い、メールのやりとりも始めた。

そして2017年、お世話になっていた点字やガイドボランティアへの感謝を伝えようと始めたのが、ブラインドクッキングだった。

独学で料理の勉強をし、調味料は感触で種類が分かるようにしたり、ご飯を炊く際の水の量は指で確認するなど、手探りで繰り返すうちに、包丁の扱いも慣れた。

今回の料理会では、目が見えていないことを示すため、アイマスクを着用し、自身の立ち位置や調理器具の場所などはボランティアに教えてもらいながら調理を進めた。

村瀬さんは「料理会はみなさんへの感謝を示す場。今後も続けていきたい」と笑顔に。視覚障害者のガイドボランティアを務める伊藤裕美さんは「自分はお手伝い程度で、回を重ねるごとにおいしくなり、楽しく味わっている。いつも前向きで明るい村瀬さんに、こちらが元気をもらっている」と話した。

(中日新聞 2025年1月20日)

11月26日 見えぬあなたへ歌を

歌声よ、届けー。地震と豪雨に見舞われた石川県の能登半島を支援するコンサートが今月上旬、愛知県岡崎市で開かれた。企画したのは、数年前から緑内障でほとんど目が見えなくなった同市百々町の榊原みどりさん(85)。榊原さんの目に異変が起きたのは10年前で、看板や新聞の文字がぼやけ、月が二重に見えるようになった。病院での診断は緑内障。2、3年前からは両目ともほとんど見えなくなる中、今年の元日を迎えた。

被災した能登町の40年来の知人のもとへ、目のせいで駆け付けられないもどかしさを抱えながらも、緑内障となってから知り合った仲間や、思いに賛同した地元の健常者や障害者、岡崎城西高の生徒らの助けでコンサートを実現。「少しでも能登のためになれば」と願った。

2024年11月24日 中日新聞より

10月21日 ガイドメイクで「自身!」

視覚に障害があっても気軽に化粧を楽しめる「ガイドメイク」が、少しずつ広まっている。資生堂ジャパンが開発し、今秋から全国の特別支援学校などと連携してセミナーを開催。参加者の中には、来春に大学進学や就職を控えた生徒も多く、化粧を通じて「自信をもって社会に出たい」との気持ちを後押ししている。

 

9月上旬、愛知県の岡崎盲学校。高等部の生徒たちがアイシャドーを指先に付け、もう片方の手で眉の位置を確かめながら、色をのせていった。周りにいた講師から「似合う」「かわいい」と声をかけられると、ほおをゆるませていた。

 

ともに3年生で、化粧は初挑戦という赤松春佳さん(17)は「うまくできるかなと思っていたけど、こんなにきれいになるんだ」と笑顔。卒業後は就職予定という石野加恋さん(17)は「身だしなみとして必要だと思うので、家でも練習してうまくなりたい」と声を弾ませた。

ガイドメイクは、目が不自由な人が自身の手指などを頼りに、スキンケアからメーキャップまでを自分で施す化粧法。資生堂ジャパンは、当事者の困りごとに耳を傾けながら、化粧品の選び方や使い方、手順の伝え方などを研究。2019年から、視覚障害団体などと連携し、中高年を対象にしたセミナーを本格スタートした。今回は、10月10日の「目の愛護デー」に合わせて、新たに社会へ巣立つ高校生たちを応援しようと企画。来年1月までに全国13校で開催する計画だ。

 

視覚に障害がある人が化粧をするときに特に心配しているのが、「ファンデーションの色ムラ」や「眉や唇の輪郭からはみ出ること」という。そのためガイドメイクでは、ファンデーションを付ける際は、スポンジではなく毛足が長いパフの使用を勧める。「ムラができるのを防ぎ、より自然に仕上がる」と担当者。眉は、アイブロウを持つ手とは逆の人さし指を眉の上のラインに寝かせるように沿わせ、眉頭から眉尻にかけて少しずつ描き足す。パウダータイプを使うことで失敗しにくくなる。唇も同様に、利き手とは逆の人さし指を「ガイド」にし、口紅を滑らすように塗る。

セミナーでは、化粧水や乳液などの適切な使用量をイメージできるよう、手で触って分かるスケールを用いて確認。男子生徒はスキンケアのほか、ボディケアやヘアケアも教わった。

担当者は「ご自身ではみえなくても、周りから『きれいですね』『似合っているね』と声をかけることで、より自信を持って外出したり、誰かに会おうと思えたりする。今後の化粧の力で、皆さんの活躍を後押ししたい」と話している。

10月8日 眼病予防 小児期カギ

文部科学省の学校保健統計調査(2022年度)によると、裸眼視力1.0未満の小学生は37.88%、中学生は61.23%と、過去最多になった。

大府市では22年度から「子どもの近視予防プロジェクト」に取り組んでいる。「小児の近視予防は、将来の重い目の病気を防ぐことになる」と、その意義を強調する。

近視は光が網膜の前で焦点を結び、遠くのものにピントが合わない状態。目の奥行き「眼軸」が長くなることが主な原因だ。眼球が前後に伸びると、網膜の組織が薄く、もろくなり、網膜が破れてはがれる網膜剥離になりやすくなる。剥離が周辺部で起きれば視野欠損、網膜の中心で物を見るのに重要な部分「黄斑」で起きると大幅な視力の低下をきたす。視野が欠ける緑内障は、光を網膜から脳に伝える神経節細胞が痩せていく病気。眼球内を満たす液体の圧力「眼圧」の高まりが原因として知られているが、近視が進んで網膜が引き伸ばされることも症状が進む要因に。黄斑にもろい血管が新たにでき、そこから水漏れが起きてむくみ、視細胞が働かなくなるなどの「近視性黄斑症」にもなりやすくなる。

近視の度合いを示すマイナスの値(D=ディオプトリ)が「1」大きくなるごとに、網膜剥離が30%、緑内障が21%、近視性黄斑症が58%と、それぞれなる確率が上がる。マイナス6D以上の強度近視では近視でない人に比べ、網膜剥離に22倍、緑内障に14倍、近視性黄斑症に41倍なりやすくなる。早くに近視になった人ほど、強度近視になりやすいといい、まさに子どもの頃の近視予防が、目の健康を守る。

近視は、一般的に近くを見る作業を続けることがよくないとされ、屋外で1日2時間以上活動すればリスクが減ると報告されている。ただ、進行するメカニズムは分からないことが多い。

2024.10/8 中日新聞

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10月1日 物語つなぐ 声の白杖

視覚障害者に映画を楽しんでもらうため「声の白杖」を提供する活動がある。瑞穂区のボランティア団体「視覚障碍者の情報環境を考える会 ボイス・ケイン」が取り組む「シーン・ボイスガイド」。移り変わるシーンを会員がつぶさに伝え、理解を助けている。

6月下旬、天白区のビルの一室で映画「大名倒産」が上映されていた。越後のサケ売り小四郎が藩主となって、貧しい藩を救うために奔走する内容だ。席に座っていたのは10人。皆、視覚障害がある。スクリーンにはサケのうろこを包丁で黙々とこそぐ男と見守る男の子が映り、「シャー、シャー」という音が流れた。

音だけでは何が起こっているか分からないのでガイドを務める会員がすかさずシーンの説明を加えていった。

視覚障害者の加藤秀一さん(63)は『視覚障害者にとって一番やっかいなのは、音の空白シーンで物語のつながりが絶たれてしまうこと。今回はガイドのおかげで大変楽しめた』と満足げな表情を見せた。

映画は約2時間。ガイドが読み上げた台本は作り上げるのに3ヶ月かかり、130ページを超える。視覚障害者が音声から理解できる部分は説明を省き、分かりやすく簡潔な言い回しにする。

代表で元ラジオDJの岡本典子さん(83)は「大切なのは言葉選び。すっとイメージできるようにしています」と説明する。例えばトンネルの中を自転車が走るシーンでは「『だんだん明るくなってきました。もうすぐ出口です』と伝えると一度も光を感じたことのない人はピンとこない。だから『ペダルをこぐ音が早くなります。もうすぐ出口です』と言うの」

会員は現在46人で、名古屋、日進、春日井の各市を拠点に活動。岡本さんが講師を務めるガイド養成講座は500人以上が受講した。「視覚障害者と同じ立場になって、伝わる言葉を一生懸命考えると障害への理解も深まる」と岡本さん。「その経験は日常生活で視覚障害者と会った時に生きるはず」と話す。

(中日新聞 2024年9月24日)

9月9日 心のバリアフリー パリで見つけた

福岡市在住の松木沙智子さん(44)は、先天性の「網膜色素変性症」という視野が徐々に狭くなる難病で、現在は視野の中心だけが見えるが暗い場所はほとんど見えず、白杖が欠かせない。今回、パリ五輪の大会ボランティアとして選手村などで日本選手団のサポートを担う。

パリを歩いて気づいたのが、バリアフリーの遅れだ。日本では、「点字ブロックをたどって行けないところはない。」サポート無しでも外出に困ることがないが、パリは「点字ブロックが少ない。横断歩道の手前も、どこで止まればいいのか分かりづらい」という。パリの点字ブロックは黒や灰色など暗めの色が多く、道路に溶け込んで見えづらい。

駅での差を感じるのはホームドアだ。日本の都市部では設置が進むが、パリでは未整備の駅が多く車いすに対応した地下鉄の駅は全体の1割にとどまる。

ただ、松本さんは日本にはない「ソフト面のバリアフリー」を日々痛感している。横断歩道で待っていたり、駅で迷っていたりすると必ず誰かが声をかけてくれる。『心のバリアフリー』を感じる場面が圧倒的に多いという。

アール医療 専門職大学の徳田克己教授(バリアフリー論)は、日本は物的な面でのバリアフリーが相当進んでいるが、フランスでは展示ブロックを景観に配慮しながら必要最小限に設置するなど『障害者支援の文化が異なる』という。欧米では、学校などで障害者への声のかけ方を学ぶ。日本では、道徳の授業で『障害者も一生懸命生きている』といった精神論が中心であり、その差が表れていると指摘する。

福祉の街づくりに詳しい東洋大の高橋儀平名誉教授は、東京パラリンピックを契機にハード面のバリアフリー化は大きく進んだが、日本人の意識面は追いついておらず、ちぐはぐなまま慌てて『心のバリアフリー』と言っている状況。その上で、『余計な厄介ごと』に関わらず、見て見ぬふりをするといった風潮が強まっているようにも感じると危惧する。

(朝日新聞 2024年9月4日)

8月30日 白杖で跳べる 伝えたい

難病「網膜色素変性症」で視野をほとんど失った埼玉県所沢市の大内龍成さん(24)は、白杖を頼りにスケートボードを滑るブラインドスケーター。「自分が障害者の心を突き動かしたい」と活動の動画を交流サイト(SNS)で発信している。

自身の病気を知ったのは、幼い頃から隠れんぼをした際に暗いところに隠れた母に気付かないことがあって目の病気を疑っていたが、小学校入学時の検査で網膜色素変性症と診断された。小学4年生から中学3年生まで剣道をしていたが、最後の方は竹刀の動きを目で追うことができなくなっていた。現在は、天気が分かるぐらいに光を感じるが、視野の95%以上を失い、白杖なしでは生活できない。

そんな彼がスケートボードとの出合いは中学3年生。友達のデッキ(板)に乗せてもらったら、めっちゃ楽しかったので、親に買ってほしいと頼んだら、「目が悪い自分のことを分かっているの?けがが心配」と猛反対。使わなくなった用具を友達にもらって滑っていたら、親にばれ、「そんなにやりたいか。分かった、買ってあげる」と許され、本格的に始めた。

症状が重くたった高等部では、勉強もスケートボードも諦めかけ、障害者とみられることが嫌で、白杖を持つことに抵抗があった。この頃、友達が白杖を使って滑る米国のスケーターを教えてくれ、「見えなくてもスケボーしている人はいるし、練習すれば大丈夫」と励ましてくれた。挑戦したら、白杖を持つと上半身が使いづらく、トリック(技)の先行動作が制限されるためこんなに難しいのかとびっくり。パーク(スケボーの専用施設)で滑れるようのなるまで1年かかった。

白杖は、自分という障害者を周囲に分かってもらえるためにも必要だと気付いた。パークで滑る彼を仲間は応援してくれる。多くの障害者を理解してもらうには、言葉だけでは難しく、百聞は一見にしかずで、障害者がどんどん世の中に出て付き合いを増やし、その生きづらさや可能性を分かってもらえることが大事だと思っている。

現在の活動は、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得し、鍼灸師として働きながら滑っている。スケボー動画を投稿しているユーチューバーと知り合い、出演したことで彼の存在が広まり、インスタグラムに投稿したら数人のブラインドスケーターが誕生するなど、もっと仲間を増やしてパラリンピックの競技にしたいと思っている。

「俺のスケボーは、もうただのスケボーじゃない。続けることで救われたし、俺の活動が障害のある人が何かに挑戦するきっかけになればいい。そうすればブラインドスケーターとしての意義が深まるし、光栄です」と話している。

(中日新聞 2024年8月26日)

7月31日 核白内障 温暖化で倍増

地球温暖化が進むと、白内障の一種で視界が茶色くなる「核白内障」の65歳以上での発症が、都市部で2040年に最大2倍になる可能性があるとのシュミレーション結果を、名古屋工業大学などがまとめた。発症を抑えるには紫外線対策が有効とされてきたが、平田晃正教授は「特に50代以上は暑さ対策を一層強化する必要がある」と指摘している。

白内障は目のレンズの役割を担う「水晶体」が濁る病気で、加齢とともに水晶体の修復機能が衰え、白内障の発症リスクが高まり、80代での発症率はほぼ100%とされている。

平田教授らは、これまでに熱中症のリスクを予想する技術を確立してきた。今回、白内障を専門にする金沢医科大学の佐々木洋主任教授が調査した中国やタンザニアの熱帯地域の数千人のデータを分析した結果、熱帯に住む人や高齢の人は水晶体の温度が高くなりやすく、1年間に累積した暑さによる負荷は、熱帯では温帯の4倍に上がり、核白内障や熱中症のリスクが高かった。さらに核白内障の発症の要因の内訳は、熱が5割・紫外線が3割で、紫外線より暑さが影響を及ぼすことが分かった。

平田教授は国際的な気象予測などから、温暖化が進むと2040年の平均気温は地球全体で2度、愛知や東京などの都市部は1.6度上昇すると推測。シュミレーションの結果、今より5歳程度早く発症することになるという。

また佐々木主任教授によると、熱中症を患って体温が40度以上になると、水晶体の温度も同程度に上昇する可能性があり、「目の温度が0.5度上がるだけで核白内障になるリスクはかなり高くなる。温暖化で患者は増えるだろう」と警鐘を鳴らす。

(中日新聞 2024年7月31日)

7月12日 全盲プロレスラー 28日誕生

全盲のプロレスラーが今月デビューする。10代で両目の視力を失った大舘(おおや)裕太さん(39)は、幼少期からの夢をかなえるために、昨年石川から移住し、名古屋市内のプロレス団体の練習生として技を磨いてきた。今月28日、今池ガスホール(名古屋市千種区)である興行「愛プロレス博2024」で初めて公式戦に臨む。

広島県福山市出身で、生後間もなく「網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)」という目の癌が見つかり、右目は義眼となり、左目もほとんど見えない状態で成長した。それでもテレビでかすかに見たプロレスに憧れ、柔道を習い、高校生で地元のリングに上がった。だが同時期に左も視力を失い、「自分で夢にふたをしてしまった」と振り返る。

成人後はマッサージ師として生計を立て、32歳で結婚・一児の父になった。子どもの教育のために石川県加賀市で暮らしていたが、「好きなことに挑戦する姿を息子に見せたい」と、プロレス再挑戦を考えるようになった。初めての公式戦では、「あきらめなければ夢はかなうと観客に伝えたい」と意気込んでいる。

(中日新聞 2024年7月11日)

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